あるビジネスマン向けの思考術の話を読んでいたら、発想力・インスピレーションの根拠として、急に「量子フィールド仮説(宇宙のどこかに、この宇宙の全ての記憶が記録されていて、心を開けばそれにアクセスできる)」とか言い出すのである。そんなヨタにたくさんの紙面を割いて、真顔で書く。著者はビジネスエリートなんである。インスピレーションというものに感覚を開くために、超越的な物を仮定しなくちゃいけないという話は、まぁわかる。なぜ量子力学じゃなくちゃいけないのか。言っていることだけを見れば、その根拠は別に宗教でもいいんである。じゃあ別に科学でもいいのか。個人的にこの「センスの悪さ」に注目するのは、〈現実的なもの〉、つまり水平方向にしか信を持てないのは、ある種の精神病の兆候に見えるからだ
前世でいい忘れていた嫌味なのだが、crypto punks(有名な粗製濫造NFTアート)なんぞをアイコンにしている人が、「アート界は批判ばかりでよくない」みたいなお決まりの反知性ポエムを呟いているのを、美大卒ペインターがリツイートしており、そういうカスを呼び込まないために学問的敷居の高さを維持しなきゃいけないと思った。
当たり前だが、NFTは価値保証の仕組みでしかなく価値の中身ではない。ドット絵である必要もない。現代アートのわからなさと、わからない新技術の掛け算で、「なんか膨らむらしい」という共同幻想だけさえあれば、取引のゲームは成り立つ。自分が最後にババを引かなきゃいい。もうブームも終わってんのに、最近じゃ勘の悪い遅れてきた“AI絵師”がNFTアートとか言ってて掃き溜め状態だ。
しかし、コロナの終焉とともに落ち着き気味らしい絵画のみのプチアートバブルも、取引速度が遅いというだけで何か違いがあったろうか。感性の主体を欠いた、「っぽさ」だけの取引。初めから約束された冬が来たときに「盛り下がること言ったやつが悪い」と嘆くんだろうか
https://yk1.hatenablog.jp/entry/2024/01/21/001838
幕末から明治にかけての日本での技術流入の状況を検討すると、技術の新旧交代みたいなものではなく、めちゃくちゃ屈折したり共存したりていて、マクルーハン的な観念では全然語れなそうである。こまかく見ていくと日本に限らずこうなっているんじゃないかという気がする。