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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

アート滅ぼそう

Just Stop Oil……

しかし、NFTやブロックチェーンを維持するための環境負荷の話はこうやってやり玉に上がる、というかシンプルに上げやすいんだと思うけど、じゃあ既存の美術の制度やマーケットの環境負荷がNFTを悪者にして済ませられるもんなのか? みたいな疑問がある。美術品の保守・保管や運送、あるいはアーティスト本人の移動だってそうとう環境負荷高いだろうし

@toneji これはマルクスを否定したいわけではなく、 https://pleroma.tenjuu.net/notice/AaxnaxObnHXyMBCiY4 このあたりを想定していたもので、70年代のアメリカで「素材」を巡るいくつかの批判的な思考が登場する、というようなことを考えたくて書いたものです(アレグザンダーはイギリスですが)。彼ら(芸術家やフェミニスト)が検討していたのは、工業社会で成立した思考の乗り越えであろうと思いますが、もうちょっと70〜80年代のアメリカの思考を広く検討してみたい気持ちはあります(とはいえ広すぎて手に負えないところがあります...)。
ちなみに、ここに書いたフェミニズムは、まさにマルクス主義を批判しつつ継承することを目的としたマルクス主義フェミニズムを指しています。

ハイデガーこそ技術決定論を批判する根拠を考えた哲学者であって、彼を技術決定論者に数える人なんていないとおもうけど...。
テクネーとテクノロジーを区別して、テクノロジーという現代的考えがどこからでてきて、それがいかに古代ギリシャのテクネーと違っているかを検討したのが「技術への問い」で、現代のテクノロジーを巡る思考がどのように機能するか=技術決定論的な思考を批判しているわけで。
このテキスト内では技術という語もテクノロジーという語も区別されていないし、それがなにを意味するか判然としないけど、それをもってハイデガーが素朴に技術を批判したと言ったようなことは、読めていないとしか言えない。
ハイデガーを読めているかどうかはどうでもいいとしても、この記事で言う「経験論的転回」が「テクノロジーのをその使用の経験からよりプラグマティックに考える研究が技術哲学の主流になった」というのは、事実上ただのテクノロジー全肯定のナイーブな見解で、たぶん書き手が文脈追えていないだけだろうという気がする。
https://wired.jp/membership/2023/10/20/series-philosophy-of-technology-1/

素材を形成してモノをつくる労働を通じて人間は自己形成する、というマルクス主義的な考えを、フェミニズムが自然支配のイデオロギーだと喝破したのも70年代なんじゃないかな。マルクス主義的な労働観も工業社会での原材料と加工のイメージだし、近代的なデザインという活動も素材を制御する仕組みとして考えられたとおもう。アレグザンダーが「デザインの目的は形だ」と言ったのは、素材を制御するための形式としてデザインが考えられているとおもう。

引用て出来ないのね。
https://www.yomiuri.co.jp/column/henshu/20231006-OYT8T50049/

ここでの話とはちょっとずれるけれど、自分はいつからかそもそも美術のフレームってそれで良いのだっけ?というのが前提になっていて、それはリヒターとかの影響だと思っていたけど、これはスミッソンからきてるのかもと思った。

ましてや絵は結局イリュージョン起こしてなんぼ、みたいなところがあるからいかに素材から遠く飛躍するのかというのが問題になってくる。
だからある意味どっか絵って現代美術になんなくね?とかも思う。全然リバースエンジニアリングできんやん、と。

でも絵が隠蔽することのみで成立しているかというとそうでもない。
うまく説明はできないけど、どうやってるかはわかるのにどうなってるかわからんみたいなことは往々にある。
これはイリュージョンではあるのだけど、何かを隠しているわけではない。あっけらかんと素材は見えてくる。

こじつけだけれど自分が絵の主題を自分の外側からもってくるのは、画家と絵画という幻想に対する反応かもと思った。

レゲエはユダヤ文学的な背景で理解すべきなんだな。
https://forward.com/culture/469877/in-the-music-of-bob-marley-a-deep-connection-to-judaism/

いまさらだけど、バンクシーの花束のやつは石を投げるサイードか
https://twitter.com/TariqAli_News/status/1713184683582713915

1966年、ハイレ・セラシエ1世がジャマイカに来訪。ラスタファリアン達は熱狂的にセラシエを歓迎した。ここでセラシエは、「ジャマイカ社会を解放するまではエチオピアへの移住を控えるように」という内容の私信を主なラスタ指導者に送った。これによって、「ザイオン(アフリカ)回帰よりバビロン(ジャマイカ)解放」という新しい考えが定着し、どこか世捨て人風で厭世的なラスタ達を、社会へ参加させるという思わぬ効果も現れた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E9%81%8B%E5%8B%95

シオニズムが英語では Zionism で、あー、そういえばボブ・マーリーが Zion ってめっちゃ歌ってたなとおもいだした。ラスタファリ運動でのザイオン(シオン)はエルサレムではなくてアフリカ(たぶんエチオピア)らしいけど、具体的などこというか、「神が故郷をうしなった者に約束した土地」なんだな。

昨日から読んでいるこのサイード特集、20年前のものだけど、どの論考も今読む意義があるものばかりだ。サイードにしても、「オリエンタリズム」とかはある意味どうでもいいというか、彼のパレスチナとイスラエル(ユダヤ)への関わりかたこそが読まれるべきなんだ。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2745

マスク氏、ヨーロッパでX x_dot_com twitter をブロックか。誤情報の拡散がEU規制違反との警告から
https://nordot.app/1087956957492609499?c=559314306504344673

@hidetakasuzuki インタビューおもしろかった。

「素材を忘却することで成立する『創造的』な美術に抵抗する運動が1970年代に各国で起きました。たとえば白いキャンバスに草原を描いたりすると、無から草原が創造された、となる。でもそうした創造行為は白いキャンバスが麻などの草から作られているという歴史を忘却することで作られるフィクションです。人は自然の素材や物質がなければ、なにもできない。人が作った人工物というのは、観念の世界にしか存在しなません。真っ白な床と壁で囲われた美術館も、大地を 隠蔽いんぺい することで成り立っている。アースワークはそうした『創造』というフィクションや都市の生み出す幻想を乗り越えようという運動でした。ロバート・スミッソンはその運動の最も重要な人物だと思います」

松井さんのインタビュー記事だ
https://www.yomiuri.co.jp/column/henshu/20231006-OYT8T50049/

認知科学とデザインの結託は、デザインの領域から文化というものの影をとっぱらったと言っていいとおもうけど、それはそれで植民地主義の新たな展開だったのではないだろうか

みんなからお金とりすぎて余ったからちょっと返しますとか言い始めるのバカすぎるな。とるなよ。

岸田首相 期限付きの所得税減税 自民・公明両党に検討指示へ | NHK | 税制改正
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231019/k10014230711000.html

同じ号、冒頭の「サイード、場所なき知識人の声」と題した姜尚中と鵜飼哲の対談は、イスラエルと日本を悪い意味で重ねつつ、サイードの分断における和解という政治的なメッセージを探るもので、20年前のものだけど今読んでもじゅうぶん価値がある

現代思想2003年11月臨時増刊号のサイード特集に「帰還の権利」と題された、2000年にイスラエルの主要な日刊紙に掲載されたサイードのインタビューがあり、はじめて読んだが胸が詰まる。インタビュアーはもちろんイスラエルのユダヤ人で、サイードとのやりとりには強い緊迫感がある。
「あなた個人は帰還する権利を、エルサレムのタルビエへ戻る権利をお持ちですか」というインタビュアーの質問に、サイードの回答はイエスではあるけど、すごく複雑な感情を見せている。彼が求めていたのはパレスチナの国家としての独立ではなく二民族国家で、いかに共に住むことができるのかを考えている。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2745&status=published

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