ハイデガーこそ技術決定論を批判する根拠を考えた哲学者であって、彼を技術決定論者に数える人なんていないとおもうけど...。
テクネーとテクノロジーを区別して、テクノロジーという現代的考えがどこからでてきて、それがいかに古代ギリシャのテクネーと違っているかを検討したのが「技術への問い」で、現代のテクノロジーを巡る思考がどのように機能するか=技術決定論的な思考を批判しているわけで。
このテキスト内では技術という語もテクノロジーという語も区別されていないし、それがなにを意味するか判然としないけど、それをもってハイデガーが素朴に技術を批判したと言ったようなことは、読めていないとしか言えない。
ハイデガーを読めているかどうかはどうでもいいとしても、この記事で言う「経験論的転回」が「テクノロジーのをその使用の経験からよりプラグマティックに考える研究が技術哲学の主流になった」というのは、事実上ただのテクノロジー全肯定のナイーブな見解で、たぶん書き手が文脈追えていないだけだろうという気がする。
https://wired.jp/membership/2023/10/20/series-philosophy-of-technology-1/
テクネーとテクノロジーを区別して、テクノロジーという現代的考えがどこからでてきて、それがいかに古代ギリシャのテクネーと違っているかを検討したのが「技術への問い」で、現代のテクノロジーを巡る思考がどのように機能するか=技術決定論的な思考を批判しているわけで。
このテキスト内では技術という語もテクノロジーという語も区別されていないし、それがなにを意味するか判然としないけど、それをもってハイデガーが素朴に技術を批判したと言ったようなことは、読めていないとしか言えない。
ハイデガーを読めているかどうかはどうでもいいとしても、この記事で言う「経験論的転回」が「テクノロジーのをその使用の経験からよりプラグマティックに考える研究が技術哲学の主流になった」というのは、事実上ただのテクノロジー全肯定のナイーブな見解で、たぶん書き手が文脈追えていないだけだろうという気がする。
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