宇野常寛の民藝への関心は独特でそれはそれでいいのだけど、ピント外れている感じがぬぐえない。基本的な背景として、産業化によるモノ作りの労働化があり、作られたモノが作る行為と分離していること(労働の疎外)に対して、民藝は作る人が使うというアーツアンドクラフツの思想的な影響下に成立しているわけで、基本は労働の疎外の克服という動機がある。
宇野氏の質問、消費側からみた民藝のイメージが多く、作ることへの関心をあまり持っていないように見え、そのへんがズレているんだろう。
https://slowinternet.jp/article/20201005/
宇野氏の質問、消費側からみた民藝のイメージが多く、作ることへの関心をあまり持っていないように見え、そのへんがズレているんだろう。
https://slowinternet.jp/article/20201005/
「記述がむちゃくちゃ」というのは、金融資本主義とは個人の社会的信用に応じて市場から資金が調達されるメカニズムだとか書いてあったんだけど、いやそれ金融資本主義とまったく関係ない独自定義やめてくれ〜みたいなこと。これはひどい記述だった。
太田好信「人類学とサバルタンの主体的関与(エージェンシー)」(現代思想2000年2月号)のなかでマリノフスキーについて簡単に説明されていて、人類学者が現地に関与せずに記録しようとする、みたいな民族誌的態度についての記述を読んでいると、観光客の哲学(東)とか読んでみてもいいのかもしれないとおもいはじめた
山と渓谷社からすげー面白そうな本が来週発売される。読むしかねえ。
『歩くという哲学』
著者 フレデリック・グロ著
「世界中に影響を与え、世界を動かした思想家、哲学者、作家、詩人の思索の多くは、歩くことによって生まれてきました。
歩くことは、最もクリエイテブな行為なのです。
……
著者のフレデリック・グロが、哲学的な瞑想の連続を読者とともに探索しながら、ギリシア哲学、ドイツ哲学と詩、フランス文学と詩、英文学、現代アメリカ文学等の、著名な文学者、思想家の歩き方について探求します。」
リベラリズムの一般的特徴として、近代化は悪くないが、今悪い問題が起きるのは運用が悪いからだ、みたいなのないですか。衆愚政治批判もリベラリズムから聞こえる気がしており、それは、リベラリズムの自己意識が「自分はじゅうぶんに近代化し、啓蒙された存在である」というものだから、蒙が開かれていない存在としての愚民を客体化できるため。じゅうぶんに啓蒙され民主的となった主体が運用すれば国家は適切に運用される。
現代思想、国連特集だとおもってたらけっこうパレスチナ関連の記事がある
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=4002&status=published
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=4002&status=published
全共闘の解体が、青華闘告発による日本帝国主義的体質の暴露によっていたことを考えると、リベラル知識人による「近代化」の肯定的な語りなおし(それもポスコロ全盛期において)は、素朴な意味でバックラッシュだったんじゃないかとおもうんだけど、こういう整理はされているんだろうか。
すげーあたりまえのことを言うけど、このへんはようするに日本のリベラリズム知識人たちで、リベラリズムのなかでは「近代化」っていうのはポジティブなものとして語られるんだよね。
北澤憲昭は柄谷行人の枠組みに完全に準拠しているけど、限界ははっきりしていて、大正時代とか昭和とか語れない。明治における制度の創造性が近代化だったわけで、そこが重要だった。これは大塚英志も似たようなところがあって、さすがに大塚は明治から戦争まで語るけど、特権的な位置に置かれるのが柳田國男で、真の近代化を主張したのが柳田だがメディアの発達が愚劣な大衆を作りだしたという史観を取っている(現代のSNSにあきらかに重ねている)。大塚の史観は、柳田的な「近代化」が達成されていれば人々は民主的主体として確立していたはずで真の近代化が達成できていたはずだ、という理屈がある。
議論の詳細にはたちいらないが、これと共通のマインドセットを感じるのは司馬遼太郎だったりする。司馬の史観は明治は偉大な指導者が立派な建国をしたのに、あとの世代で愚劣な指導者がでてきたから駄目になったというもの。
ここに列挙した北澤、大塚、司馬には共通して日本の「近代化」にたいして肯定的な評価があり、両価的なものとしては考えていない。ポストコロニアリズムが抵抗したのはまさにこの観念であったはずで、近代化=西洋化とは支配の歴史だと書き換えるためのプロジェクトだったはずだ。
北澤憲昭は柄谷行人の枠組みに完全に準拠しているけど、限界ははっきりしていて、大正時代とか昭和とか語れない。明治における制度の創造性が近代化だったわけで、そこが重要だった。これは大塚英志も似たようなところがあって、さすがに大塚は明治から戦争まで語るけど、特権的な位置に置かれるのが柳田國男で、真の近代化を主張したのが柳田だがメディアの発達が愚劣な大衆を作りだしたという史観を取っている(現代のSNSにあきらかに重ねている)。大塚の史観は、柳田的な「近代化」が達成されていれば人々は民主的主体として確立していたはずで真の近代化が達成できていたはずだ、という理屈がある。
議論の詳細にはたちいらないが、これと共通のマインドセットを感じるのは司馬遼太郎だったりする。司馬の史観は明治は偉大な指導者が立派な建国をしたのに、あとの世代で愚劣な指導者がでてきたから駄目になったというもの。
ここに列挙した北澤、大塚、司馬には共通して日本の「近代化」にたいして肯定的な評価があり、両価的なものとしては考えていない。ポストコロニアリズムが抵抗したのはまさにこの観念であったはずで、近代化=西洋化とは支配の歴史だと書き換えるためのプロジェクトだったはずだ。
実践的な場面では教育なんてスキップされることがほとんどだから、最初はデタラメにやってみてできることできないことを身体的に把握していくのってけっこう重要なプロセスで、最初から型を守らせるみたいなのは応用が効かない。応用問題のほうが後にやってくるという教育の考えが、そんなことある?と思っている。
守破離の守って初等教育において思考は不要だといっているようなもので、ほんとにそれでいいんだっけ?とはおもう。というか、思考や懐疑は型を身につけた人にしか許されないというのも、それでいいんだっけ?とおもう。
冬季歩道……いちど歩いてみたいんだよなあ / 酷寒を歩く、使命を背負い 「逓送さん」黒部ダムの生命線 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=Tz6seAwMhvM
サイードやスピヴァクはアメリカ国内の異邦人として、欧米の知識生産システムのなかで表象される他者を問題化したけど、柄谷や北澤、大塚に共通する語りがあって、明治における近代化を語る一方で植民地支配の話はあまりしないというか、他者みたいなものがない。柄谷はちょっとしている気がするけど(細かく追っていない)。
サイードとかスピヴァクとかポストコロニアル全盛の時期に、その紹介につとめた柄谷が日本の近代の語りなおしをしたのはなぜなんだろうか。北澤憲昭や大塚英志も日本近代の語りなおしをやっているのも、柄谷の影響はかなり濃いとおもう。