【速報】杉田水脈が衆院選への立候補を断念したようです。https://news.yahoo.co.jp/articles/0a8ffd2ef62ba92aff9be323bcfcfcdb0f14dfae
> NHKの2024年5月11日の報道によれば、パキスタンではXへの投稿によって日本円にして8,000円前後(2024年5月10日時点の為替レートは1米ドルが155円程度)を稼いだ例も報告されている[16]。パキスタンの平均月収は2023年時点で約2万円台と報じられているほか[17]、日本円で8,000円に相当するパキスタン・ルピーの収入は当時のパキスタンの物価水準を考えると高いものだといえる[16]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
「ガザ同様の破壊」の可能性あるとレバノン国民に警告 イスラエル首相 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/articles/c4g57k17z9qo
「ネタニヤフ氏はレバノン国民向けのビデオ演説で、「あなた方には、ガザで見るような破壊と苦しみをもたらす長い戦争という奈落の底へレバノンが落ちる前に、国を救うチャンスがある」と語った。」
ガザに非道を強いてる自覚があるんじゃん今すぐやめろ
イオンカード怖すぎる…
イオンカード、不正利用の対応遅れを謝罪 「カード止めてと依頼しても止まらず、数十万円請求された」などの声 - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2410/09/news109.html
だいぶ前に話題になっていたこちら。昨日初めて見てびっくりした。観終わってタイトルの意味を考えてしまった。
※暴力、虐待(子どもへの性加害含む)の表現あり。視聴注意。
https://www.youtube.com/watch?si=uxHLWdYsClk-h6rx&v=c8DLl05iM4w&feature=youtu.be
https://en.wikipedia.org/wiki/Contact_zone
「「山城流」批判覚書」載ってる本、持ってたよな~と探してきた。『音楽のおしえ』だった。
"グルジア、トルコ、台湾、アフリカ、イスラエルの歌をならべたステージは、数分のサンプルをならべた民族音楽のレコードに似ている。知的興味が感性のたのしみにすりかわっただけで、原住民居留地に侵入して、かれらの生活の道具をあつめ、祭典をのぞきみして都会へかえる観光的人類学者の態度とちがわない。かれらはバリから「ケチャ」をぬすんでくる。それは熱帯の自然にとけあった集団の、おたがいへのやさしさにみちた合唱原理とは正反対の、眼のすわった日本帝国主義軍の兵士が肩で息をしながら不器用に拍子をとるような、まずしい精神の産物に変わる。こうしてうばいとった文化資源で富むのは、世界最大の消費都市東京の「音楽生活」にすぎない。かれらが「ケチャ」をやることで、バリ島の文化にどんなおくりものをしたのか?"
高橋悠治『音楽のおしえ』晶文社、1976年。p.174
早春書店で買ったやつだ。ありがとう早春書店。いい書店です。
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/000078.html
> もう、大分前の事になるが、高橋悠治氏が芸能山城組を批判していたことがあった。芸能山城組は山城祥二氏を組長とする、素人を組員として団体生活を通して音楽芸能活動をする団体で一時期、新宿の三井ビルの広場でケチャを演奏(?)していた。高橋悠治氏の論旨は二つ有り一つは「土地と宗教に根付いたケチャを外国に持ち運ぶことはできない。」というもの、また「ケチャをバリから持ち去った後、彼らはバリに対して何を為しうることができるのか、何もせずにいるならば、植民地主義における搾取行為と何ら変わるものがない。」という二点を問題視していた。それは山城祥二氏に対する批判であると同時に、自分自身或いは日本人への問い掛けの意味もあったであろう。
> 高橋悠治「「山城流」批判覚書」(5号)と芸能山城組「高橋悠治氏の〈「山城流」批判覚書〉に答える」(7号)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
ライヴ音楽の場合はローカルなものや観光のためのものといった分離があると思う(録音物であってもDJパーティみたいな消費のされ方もあるものの)けれども、録音物として流通する際にはもはや事実上単一の技術的環境にのっかると思っていいのではなかろうか。もうちょっと前、それこそ2000年代くらいまでだと、地元のマーケットやストリートでテープやCDやフラッシュメモリを通じて流通する、「グローバル」なマーケットからは不可視な領域もかなりあったけれど、いまはネットでやり取りされるし。つまるところ「グローバルゲットーテック」とか「ワールド・ミュージック2.0」ってわざわざ言わざるを得なくなったのはそういうことなんだと思う。