https://histanthro.org/clio/the-relation-of-darwin-to-anthropology/ フランツ・ボアズはダーウィンの単線的進化論にかなり疑問を持っていたと書いてある。文化相対主義を主張していたのだからそれはそうかも。 (一部機械翻訳で抜粋)
彼はダーウィンの著作の中に同意できる点を多く見つけたが、ボアスが証明されていない、あるいは疑わしいと考えた考えもあった。特に、ある民族や言語は他の民族よりも発達しておらず、すべての民族や思考体系がその上に配置されるかもしれない人類進化の単一のラインが存在するというダーウィンの考えである。
ボアズをぜんぜん読んでいないけど、初期の論考(1909)に The relation of Darwin to anthropology というのがあり、ちょっと興味ひく。
こういった歴史表象の再配置は人類学から借りられたものなはずで、19cなかばくらいまではたぶん人類の起源にあたる時代はアダムとイヴのような白人っぽいのが楽園にいるイメージだったんだとおもうが、それがアフリカ起源説みたいな人類の単線史観が発達する。だから黒人が他者から自己(の起源)になるという流れだとおもうのだが(わりと適当書いた)。これ美術史側からはだいたい把握したけど、人類学とか他で「プリミティブ」という語の用法がいかに変化してきたか書いてあるやつを読みたい。
https://artscape.jp/artword/6717/
「プリミティヴ」という語に対する通俗的な差別意識の反映で記事書いているだけで、大学生のレポートより酷い。
だいたいゴッホがアフリカやアメリカの「原始的な」絵画・彫刻に影響を受けたなんて、ミスなんだろうけど、単純に事実に反する。
ウィリアム・ルービン、こういう傲慢な書き方が典型的に「救済」的な語りなんだよな。サイードの言うオリエンタリズムそのものというか。これでクリフォードにdisられた理由がわからない、不当だっていうのだから鈍感すぎる。
古い時代の作品には秀作もあるが、そうした作品が保存される過程で働いた淘汰の規準は決して美的なものではない。(…)今日伝えられている作品というものは、概ね(もちろんすべてとは言えない)芸術的価値に関する継続した集合的判断に支えられて保存されてきたものである。そこでは、集団の合意というものがふるいの役割を果してきたと考えられる。そのふるい分けが進行するためには、その社会に才能に恵まれた芸術家が必要とされたのはもちろんであるが、それ以外に批評の伝統に裏打ちされた「美術」という概念も必要になる。そして、この批評の伝統のために今度は文字が必要となる。アフリカやその他の文字をもたない「部族社会」における彫刻をめぐる言説は、この最後の点で、ここでいう批評と呼べるものにはなっていない。
この美術史上の流行の変遷、政治的な関係に直訳できそうな。オリエントは19cにおける敵、プリミティヴィズムは植民地、で、日本はたぶんムスメ(ピエール・ロチ)なんだよな。
https://haniwadogu-kindai.jp