ちなみに、ルービンは「プリミティブ・アート」という呼称を1905年前後としているが、大久保恭子はフォーヴィズムの画家たちはずっと「アール・ネーグル」と呼んでいて「アール・プリミティフ」とは呼んでいなかったとしている。
僕は今も障害者運動に類するものとはそれほど近い位置にいないのだけど、若い頃はもっと意識的に距離を置いていた、というか避けていた。それは、今思えば自分はそういうことしなくても社会の中でやっていけてるし、みたいな思い上がりがあったからなのだろうと思うけど、ともあれそんなだったから、アクセシビリティーが障害者が何かを求めている、というような見られ方をされないようにということをすごく意識してた。それもあって、「アクセシビリティーは決して障害者だけのためのものではない」ということを、必要以上に強調してしまったのだろう。
でも、結局30年近くこの分野でやってきて、そもそもその姿勢が良くなかったんだなあと反省してる。
技術論はちゃんと発信さえすれば、必要性を感じている人には届くけど、考え方はそう簡単には浸透しない。だから先人も、そして今活動している当事者も苦労し、いまだに運動を続けなければならないのだろう。
アクセシビリティーに真剣に取り組むということは、それは社会運動、人権運動に取り組むということなのだということを、ここ数年ずっと考えてきたけど、先日の名古屋のイベントの様子を見てそれが確信に変わった感じがする。
アクセシビリティーの技術的部分というのは、その根本にある考え方を身につけた上で、アクセシビリティーに関係ないものも含めて新しい技術を正しく理解する姿勢があれば概ね何とかなるものだと思う。
ただ、その根本の考え方みたいなものを本当に身につけている人がそんなに増えていなくて、結果としてアクセシビリティーの取り組みが障害当事者から離れて行っている感じがするような気がしてならない。
これは「アクセシビリティーは必ずしも障害者だけのためのものではない」みたいなことを言って裾野を広げようとしてきた僕たちにも責任があるのかもしれない。もちろん正しいことを言ってるのだけど、でも障害者のアクセスが改善できることは大前提で、そこをすっ飛ばしてしまったらほとんど意味はないということが伝わっていないのかもしれない。
技術論はそれはそれで大事だけど、「障害の有無に関係なく、情報には誰でも同様にアクセスできる必要がある、それは現代の社会における基本的人権である」ということが共有できていることがまずもって大事だと思う。
メモ
「バイナショナリズム」今日出てきたアーレントの重要ワード。
イスラエルとパレスチナの人々の共生について、「ふたつのナショナリズム」という意味ではない(二井氏)
二井氏の解釈はこれがわかりやすい↓
https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/academicfields5/#:~:text=二井氏は、「バイナショナリズム,する態度だからである。
1910年くらいを境に、ジャポニズムが後退して変わりに「プリミティヴィスム」が流行することになるけど、ジャポニズムのとき日本は「プリミティフ」だった。プリミティフとは過度に発達した文明以前を指していたのだから、日本が「ジャポニズム」として流行したのは、日本の近代化以前の姿であって、1910年ころになると日本は日露戦争の勝利から日韓併合など、暴力的な近代国家としての姿を現しはじめる。
ジャポニズムとプリミティヴィスムは事実上地続きの現象で、日本が近代化したからヨーロッパにおける流行としては終わったものとおもわれる。
artscape の「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展の項目は成相さん執筆だけど、参考文献に吉田憲司『文化の発見』はあっても大久保の本はあげられていない。
https://artscape.jp/artword/7087/
https://www.bbc.com/japanese/articles/c7v5l478p7zo
https://news.mynavi.jp/techplus/article/20231207-2834985/