近代芸術は ex-centric であるために非西洋のモノをリソースとして流用しているのだが、そもそも帝国主義的な植民地主義の拡大もまた ex-centric を内包しているという。こういう二重性は柳宗悦への植民地主義批判にも通じるところがある。
クリフォードがMoMAの展示について批判する「救済という語り」は、モダニズム芸術家が「部族のモノの芸術性を発見する」ことによって「芸術」の領域まで引きあげることを指すけど、こういう「語り」は柳宗悦に典型的にあらわれている
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ウィリアム・ルービン、こういう傲慢な書き方が典型的に「救済」的な語りなんだよな。サイードの言うオリエンタリズムそのものというか。これでクリフォードにdisられた理由がわからない、不当だっていうのだから鈍感すぎる。
古い時代の作品には秀作もあるが、そうした作品が保存される過程で働いた淘汰の規準は決して美的なものではない。(…)今日伝えられている作品というものは、概ね(もちろんすべてとは言えない)芸術的価値に関する継続した集合的判断に支えられて保存されてきたものである。そこでは、集団の合意というものがふるいの役割を果してきたと考えられる。そのふるい分けが進行するためには、その社会に才能に恵まれた芸術家が必要とされたのはもちろんであるが、それ以外に批評の伝統に裏打ちされた「美術」という概念も必要になる。そして、この批評の伝統のために今度は文字が必要となる。アフリカやその他の文字をもたない「部族社会」における彫刻をめぐる言説は、この最後の点で、ここでいう批評と呼べるものにはなっていない。