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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

こんなのあったのか。いけばよかった。
https://aans-event2366.peatix.com

そもそも、砂川闘争を「反米・日本民族独立のナショナリズム路線」とするのが、たぶんいろいろおかしくなっているんだとおもう。

うーん、「結局私たちはつねに「父」に対して有効な抵抗戦略を発明し続けるしかない」はやっぱり敗北宣言にしか見えないなぁ

しばらく前に書かれた、ファーレ立川の岡崎作品撤去問題についてのレビュー。
森脇氏は直接そう書いているわけではないけど、「誰のものでもない土地=公共空間」というものがフィクションでしかない、と書こうとしているようには読める(なぜその断言を避けたのだろう)。

これはけっこう考えさせる1文だった。
「公共空間がナショナリズムを切断する仕方で成立するのにもかかわらず、そのリベラルな空間を維持しようとする私たちは、結局、文化保護とか「精神的基盤」とかいう、ナショナリズムをパロディしたかのような論理を行使するしかない。」

これはアイロニーとして書いているんだとおもっていたが、最後に「結局私たちはつねに「父」に対して有効な抵抗戦略を発明し続けるしかない。」と「しかない」を繰り返すことで、ナショナリズムのパロディとしての「文化保護とか精神的基盤」を肯定している。

たぶん、ナショナリズムを否定したうえで、フィクションとしての公共は、現時点では「所有」にたいする有効な戦略として肯定せざるを得ない、という理屈になっているが、本人も納得はいってなさそうではある。
https://jinnet.dokushojin.com/blogs/reading/20230203_01

伊藤新道、開通したのか

「リアリティ」の名において写真から写真でないものを生成することを賞賛してきた人たちがあって、今回の企画があり「客観的な「新証言」」という表現がでてくる

やはり、渡邉英徳氏とかもっと批判される必要があったんだよな

「関東大震災 100年前の100人の新証言」(日本赤十字社東京都支部)
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/The-Great-Kanto-Earthquake-100-New-Testimonies-from-100-Years-Ago/japanese-red-cross-society-tokyo-branch-office/2023-08-25

「生成AIを用いることで、可能な限り主観性を排除した客観的な「新証言」となるように配慮した」という一文に戦慄。
生成AIに関する倫理的問題に関する議論をまったく追わずにやっている感じが……

さらに「あの日を経験した100人の“新”証言として、未だ明らかになっていなかった当時の詳細な状況を紐解いていきます」ともあり、生成AIが何か今まで明らかになっていなかった状況を解き明かしてくれるものとして認識されている様子もある。

生成AIは、客観的で、人間には分からないことを明らかにしてくれる、という発想がありそうだけど、深層学習はそういうものではないのでは(人間とは違う出力の仕方をする、ということはありうるかもだけど)。

マノヴィッチまだぜんぜん読めてないな...

9月1日に出すつもりだったけど、山崎今朝弥と関東大震災時の虐殺について、前に『地震、雷、火事、憲兵』を読んだときにブログに書いた文章、リンクします。

https://le-matin.hatenadiary.org/entry/2021/07/08/120040

「象徴的な次元」ってメディアのうえに構築されているものだとおもう。たぶん近代国家が発達するためには全国新聞が発達する必要がある。

一般市民によるアーキテクチャへの介入可能性が目減りし続けている問題は、ウェブの外側まで含めていつの間にかヌルっと全面化しつつあって、例えばIDパスや電子マネーに対しても、私たちはもう抵抗感をほぼ失いつつある。このまま行くと、ひたすら「象徴的な次元」だけで怒りや反抗を無限に反復することになりそうな……。

今日は散歩がてらこれを見に来たのだった。

「「新しい社会運動」とは何か?それは八〇年代にヨーロッパに広がった社会運動の新しい形態を指している」

「その特徴は、特定の原理や理想、絶対化された目標をもたないこと、しなやかでゆるやかな組織化、ネットワークによって展開していくこと、などの点において、「党派」や「組合」指導型、あるいはいわゆる「マルクス主義」に依拠した運動と区別される」

「六八年の学生叛乱や文化的な運動は、この運動に色々な影響を与えているが、こと暴力的な闘争に対しては様々な反省をふまえていると見てよい。新しい社会運動は、かりに法に違反したり、市民的な秩序に反するような活動をする場合にも、その暴力は象徴的な次元のものにとどまるのである(ドイツ語圏では、ハーバーマスらがこうした運動を「市民的不服従」という概念でおさえている)。新しい社会運動がしばしば、身体性や情動的なつながりをその運動のプロセスにおいて重視することにはそうした理由があるのである。スピリチュアリズムやサブカルチャーと、社会運動やアクティヴィズムが結びつくのもこの点においてである」

(上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』2000年)

「Twitterから離れるとニュースを迅速に知ることができなくなる」ということを心配していたひとがいたが、実際のところどうだろうか。

「いますぐ迅速に知らなければならない情報」って、実は皆無に近いと思う。だいたいのことは、速報で得る必要がなく、NHKや新聞でじゅうぶん足りる。

災害ニュースの場合はどうか。これについては結局、NHKが一番正確で有用と言わざるを得ない。Twitterに流れてくる情報のいい加減さは、緊急を要するニュースに関して害悪でしかない。

Twitterは速報性に優れている、というのは、実は錯覚なんだろうと思う。本当に緊急を要する速報なんてものは、実際のところ相当少ない。だいたいのことは1日くらい後で知ってもなんら問題はなく、むしろ時間を空けることで情報が整理されて摂取しやすくなっていることの方が多かったりする。

こういうことに気づいたとき、ぼくのなかでのTwitterは急速に熱を失い冷めていった。

技術は新らしいリアリティの規準を設定するものだとおもっていて、そこで技術が潜在的に語ろうとしているリアリティの可能性を引きだすのは、芸術なんじゃないかとおもっている

ビリヤニまだあった

明治から戦前までの日本美術の流れをおっていて、なんとなく気にしながら見ているのが、どんな新興メディアがあるかということ、それがいかなる新技術(とおもわれたもの)に裏打ちされているかということ、それらがいかにプロパガンダを語るかということ、この辺が気になっている

批判の声がちらほら聞こえてくると思ったら、こんなことになってたんか>人気の陰で学芸員不足 金沢21美、退職11人|社会|石川のニュース|北國新聞 https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1159507

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