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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

「近代の超克」座談会でも、「近代」の語の外延がめちゃくちゃあいまいで、でもなんとなく、近代の超克という標語があって、そのなんとなくはみんな了解しつつ対立する。ある人は「近代の超克」という語をもって、ヨーロッパにおける近代の内在的な克服のことを指して語るし、そうではなく、文明開花という日本における近代化を克服しなければならぬと語るひともいる。
こういう問題意識のほうが、現代の美術批評の根無し草感よりもわかるんだけど、ある言説がどうやって成立するのかとか、そういうことが気になるし、根深い問題をはらんでいると感じる。

「近代の超克」は、読んでてそうとうの根深さを感じる。
近年でも、批評空間の「モダニズムのハードコア」でアメリカ美術批評とかが紹介され、自分が大学にいっていたころは、外延もあきらかではないまま「モダニズム」とかポストモダンとかのことばが流行っていた。ただ、この80年代以降の話を「近代の超克」の周辺とくらべてみると、あきらかに政治的な保守主義がいない。美術批評にかぎっていえば、モダニズムもポストモダニズムも、アメリカの一時代前の批評状況を基盤として語られていたという印象がある(すくなくとも自分は日本の美術批評のアメリカ的な批評言語の発達につよい不満があった)。このへんは最近はまた事情がかわりつつあるとおもうけど。

この座談会、下村寅太郎だけ飛び抜けてるな。ほかの面々が発想ごとついていけていない。

下村寅太郎が、近代科学について「自然を拷問して自然自身に答へさせる、さういふ意味で、近代科学の認識は寧ろ純粋に客観的な観察、事物そのものの本質の直観でなく、謂はゞ技術的形成的認識といふ性格を持って居る」と述べている。この洞察はハイデガーとかも共通する認識だとおもうけど、これは、同時代にヨーロッパの哲学とか科学の反省をしているとそういう記述があるから、こんなふうにいっているんだろうか。

文學界という同人誌の創刊ということがどういう背景においてなされていたのか、そもそも知らないのだが、そのへんをもうちょっと知る必要がありそう

私は後に大学生として、治安維持法の被告になり、検事に左翼思想を抱くに至つた動機を尋問されたとき、「文学の影響」と答へた。これは、その場逃れの返答ではなかった。独房の中で静かに自分の心の底を探つて、この答へを探り出したのである。(「勤皇の心」林房雄)

林房雄「勤皇の心」というテキストを読んでいるけど、このひとプロレタリヤ文学からの転向というのにびっくりした。

インターネットはアメリカ発祥のものが多いなあと思ってたけどHTTPと初のウェブサーバはヨーロッパ発祥だねえ!

コンピュータにまつわる文化や思想を、アメリカ的なものとヨーロッパ的なものとに区別したいという気持ちがしばらくあって、根本的な系統がやはり異なるという気がする。GDPRなんかをみてもそうだけど。ほかではHCD(Human Centered Design) と UCD(User Centered Design)の違いもそうで、HCDはヨーロッパの労働運動起源だがUCDはアメリカの認知科学が起源(UXの概念は後者から発展する)。

w3cのなかからはヨーロッパ的なもの(アメリカ的ではないもの)を感じるんだけど、それがどういうものかうまく説明できない。

日本の近代史を触ろうとしても、広汎にわたりすぎてどこから触ってよいのかがむずかしい...

こういうのは、いまも残骸がたくさんある。

いはゞ当時の我国は少くも観念の上では絶えず西洋の「新知識」に征服されて来た。下手に自分でものを考へるより西洋の「進歩」した知識を借りて進む方が早道であった。そして所謂学者とは西洋の新しい知識を出来合ひのまゝ素早く輸入する問屋にすぎぬ者が大多数であつた。(中村光夫『「近代」への疑惑』)

小津夜景さんのブログ、この回良いなあ。

「あらゆる夜に、人は本を読んできた。」
https://yakeiozu.blogspot.com/2023/03/blog-post_23.html

近代の超克、わりとどの論考も興味深いものがある

音楽の印象主義、ドビュッシーのイメージしかないしそもそもどこが印象主義?っておもってたけど、象徴主義のほうが近いのね
https://ja.wikipedia.org/wiki/印象主義音楽

Twitterひさしぶりに開けると「ん、なんかこんなのフォローしたおぼえないな?」みたいな、まったく興味ないツイートが流れてくる。

ダルビッシュが、1980年代の大学野球の映像を見ていたら、監督が「さいきんの子は根性がないって言われますけど...」みたいなのを言っていて、こういうのがずっと続いているから変わらないといけない、と言っている箇所がある。言葉というものは歴史をもつし、社会のなかで実体として作用するものなんだとおもう。

高木豊さんのダルビッシュ有選手へのインタビューがよかったんだけど、「時代の変化とともに言葉も変わってこないといけない」というのは印象的だった。
https://youtu.be/ACBd1Ndwk9o?t=502

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