日本がアイヌにしたこともセトラーコロニアリズムではあるのだけど、それが建国であったのか、領土拡大であったのかはまた全然違ってくると思う。満州が同じといえば同じだけど失敗したわけだし。
セトラーコロニアリズムで建国して存続している国家ってもしかしてイスラエルと米国しかない?
上記引用「意図してかせずしてか、主流大手メディアの報道では語られないが、イスラエルは入植者植民地主義によって誕生した国である。入植者植民地主義、すなわち入植者が植民地の先住民にとって代わって、その土地を自分たちの国にするというものだ。」
本当にアメリカと双子なんだよなと思う。生まれ方(建国)が。
さっきの菅原論考と比較していいかというとあれだけど、菅原が男女二元論に捉われてしまっているのに対して、中嶋は男女二元論を前提としつつ作家がその男女二元論性とどういう距離感をとっていたかを明らかにしている。「男/女」はベタな前提ではなく、「男/女」という割り当てにたいして作家や批評家がどういう態度だったかが問題化されていて、こっちのほうが適切に議論を組みたてられるよなとおもう。
https://critique.aicajapan.com/7899
https://critique.aicajapan.com/7899
おもしろい。
日本戦後美術のジェンダーを考える
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/records/141
ぜんぜん別というか個人的な関心事なんだけど、明治〜大正期にかけてけっこう女性画家がいるのだがあまり調査されておらず、どういう背景から登場したのかが議論されるどころか議論の土台がまったくない。議論の土台がないがゆえに、明治大正期には画壇は女性差別的な構造をもっていたから女性画家はでてこなかったとするフェミニズムの美術史語りが通用してしまうことすらある。それ自体転倒そのものなんだけど、構造的でないように見える事象って無視しがちなんだよな。
中嶋の議論が、戦後の女性アーティストが群をなして登場したことが、一見構造的ではないように見えることについてけっこう詳しく検討していて、議論の立て方そのものが参考になる。
日本戦後美術のジェンダーを考える
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/records/141
ぜんぜん別というか個人的な関心事なんだけど、明治〜大正期にかけてけっこう女性画家がいるのだがあまり調査されておらず、どういう背景から登場したのかが議論されるどころか議論の土台がまったくない。議論の土台がないがゆえに、明治大正期には画壇は女性差別的な構造をもっていたから女性画家はでてこなかったとするフェミニズムの美術史語りが通用してしまうことすらある。それ自体転倒そのものなんだけど、構造的でないように見える事象って無視しがちなんだよな。
中嶋の議論が、戦後の女性アーティストが群をなして登場したことが、一見構造的ではないように見えることについてけっこう詳しく検討していて、議論の立て方そのものが参考になる。
@tenjuu99 消したんだけど、見られてたか、笑。そう、たしかアンチアクションの第1章。「日本戦後美術のジェンダーを考える」という論文がもとになっているから、内容はほぼ同じ。https://meigaku.repo.nii.ac.jp/records/141
@seki_takanao ぜひぜひ。
東浩紀が、10年前のゲンロンの批評特集では、女性の批評も俎上にあげられていないし出席者が全員男性だった、それは自分がバカだったからだ、それを誤魔化すつもりはない、いまならぜったいそうはしない、と言っているのめちゃくちゃ健全な反省だよな...。
@seki_takanao ありがとう、読んでおきます。アンチアクションはよ再版してほしい。
「汚す」行為がマチズモの現れだとするのは、メンテナンスとの対比で言っていて、おもしろいのだけど危ういとはおもう。「汚す」「汚れる」にもバリエーションがけっこうあるとおもうが、「ジェンダー化された労働」との対比として「男性的なもの」の単一性に回収されていて、それはそれで問題がある(部屋の汚ない女性は「男性的」なのだろうか?)。
けっこうおもしろかった https://critique.aicajapan.com/7899
四つん這いになって懸命に床を拭くユケレスにこそ、ポロックとは別の「水平性という状態の「低級さ」」を見て取ることができるはずだ。
@seki_takanao 中嶋さんの椹木批判ってアンチアクション?