アーレントが言っている作品(「仕事」)と労働の違いって、作品には永続性があるということだと思うんだけど、そう考えてしまうとケアは労働(苦行)でしかありえない。
じゃあ作品を作品たらしめているものは何か、と考えるとアーレントの理屈ではそれが体系の一部になるということじゃないか。ならば…
と考えててそういえばアウラってあったよねと。
そうすると、例えば毎日の食事を作るみたいな行為にアウラはあるんだろうか、とか思う。
下僕は今、ケアと生産を区別しないことは可能か、とか考えてて、それでアートと排泄介護の違いはあるかみたいなことに引っかかってる。
朝からの話の続きだけど、ケアワークというか、再生産労働そのものをたくさんの体系にわかれる技術であり作品でもあるものとして、我々の生活に組み込んでいくべきだと思うのね。
ビジネスとかスポーツとかアートとかサイエンスとかエンタテイメントとかだけを価値のあるものとして認めるんじゃなくて。
その時に、ベンヤミンがありふれたものには価値がないと言ってるんじゃないことを確かめたかった。
Andy Warhol Hosts Frank Zappa on His Cable TV Show, and Later Recalls, “I Hated Him More Than Ever” After the Show
"渡辺明九段が名人だった3年前に語った言葉が印象的だ。「新人時代は相手が大棋士というだけで恐れたけれど、今は『渡辺明』という名前では恐れてくれない。序盤で間違えると『この人は“答え”を知らないな』と自信を与えてしまう」。戦法の変化を把握し、AIが推奨する“答え”の手を事前研究で把握していないと、トップ棋士でもなめられる。圧倒的な強さを誇る藤井名人でも第一人者で居続けるのは容易ではない。"
@kmiura 日本語を勉強して良かった事はたくさん有りますが、一番意外な成果は、逆に韓国語への理解が深まった事です。現代韓国語に残された日本語の痕跡が見える様に成ったからです。
石破も軍事面ではいろいろ主張があるけど、こういう経済政策の延長に軍需産業推進を据えるようなことはやらないとはおもっている。
https://sosaisen.sanae.gr.jp/policycontent/
https://www.nomura.co.jp/el_borde/article/0208/