アート以外の文化方面でも、非政治化みたいな流れってこの時期なのかな。
ここで宣伝ですが、ゆさカルの「第10章 オンライン空間の文化と社会参加:韓国におけるウトロ地区支援の一端(全ウンフィ)」が参考になる。私が前にnoteに書いたレビューを引くと、
この章では、その「韓国市民の関心の高まり、支援」について、どのようなことがあったのか、ということが書かれています。
2000年代、インターネットがまだテキストブログや掲示板が全盛だった頃、韓国のサブカルチャー愛好家たちが自発的に韓国の市民団体の情報をシェアし、ウトロへの支援を呼びかけたことが大きな動きになるきっかけとしてありました。
この趣味の集まりから社会参加、連帯の呼びかけでBTSのARMYを思い浮かべた方も多いと思いますが、あのうねりはその何年も前に芽吹いていたのですね。それは原爆T-シャツにも反応や反省が早かったわけです。インターネットはこうありたい、と思いながら、こうあれなかったインターネットがウトロ放火事件に発展するわけです。考えさせられる。
やはり、身近なカルチャーや趣味から学びへと接続し、連帯するスキルというか下地は韓国もだけど「日本以外」の東アジアの国にはあるよな、と思います。逆になぜ「日本では」その下地が育たなかったかと考えてみることが必要かなと。
http://hokuju.jp/books/view.cgi?cmd=dp&num=1237&Tfile=Data
昨日病院でちょっと気になることがあったんですが、
受診前に自宅で事前予約する際にWebフォームで問診票などの質問事項があって、それに症状とか細かく書いてから病院に行ったんですが(それ自体はいいことだと思います)、受診時には「その回答を元にAIが自動生成した文章」がカルテに掲載されていました。
でもその文章がかなり間違っているんです。むっちゃ正確な日付で「8月11日に○○の症状が出て」などと書いてあるんですがそういう回答はそもそもしてない。AIが独自解釈で生成してる。看護師と話がかみ合わないなと思って見せてもらって発覚しました。
これ、風邪程度の診察なら大した問題にはならないんですが、今後AIがどんどん導入されていく中で、手術の内容とかに関して、AIが手順を自動生成したりして、それが間違っていたりというような医療事故、出てくるんじゃないでしょうか。
今のAIの精度に見合った利用方法で活用していかないと大変なことになりそうです。
アホすぎておもしろかった
「そうさ。俺はこう見えて東の町で一番上手いベースボールの選手だった。だけど彼の前ではまるで大人と子供くらいの差があった。初めて大谷を見たときにそれが分かった。実際そのころの大谷といえば全長50メートルくらいあったから、顔を見るのにいちいち見上げなきゃいけなかった。彼が投げる球も、振る棒も、まるで見えない。彼が棒をぶんと振るうたびに山が砕け嵐が起きた。彼が球を投げるたびに海は割れあるいは深い谷が出来た。そしてあるとき遠い異国の大王が連れてきた精鋭一万人を相手に彼はひとりでベースボールをやった」
1994年のベースボール|惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公 https://note.com/c0de4/n/ne1e7d957b1a3
忌野清志郎を糸井重里が腐した文章、こんなにムカつく文章を書ける人間がいることにびっくりするレベルやんな
https://www.1101.com/darling_column/archive/1_0830.html?srsltid=AfmBOopc3d8YGn8JSxmdIVHJ-ddYjvkmxhUmOp34HylUQ63xDyNAJOpF
『忌野清志郎の「プロテストソング」については、ぼくは、すべて「つまらない」という感想を持っていた。
風刺だとか、体制批判を前面にだした表現に、なにか「ロックの思想」があるとか言われても、ああそうですか、というしかない。
忌野清志郎が、わざわざ言わなくたって、その程度のことなら、街頭インタビューの人たちだってマイクに向かって言っている。』
『ロックとか、昔の忌野清志郎とかからも自由になって、新しい名曲を、つくってほしい。
つくれないなら、つくれないキツさと正面から向かいあって苦しんでほしい。
「ロックらしい」程度のことでニュースになって、レコード会社の社長の名前を叫んで抗議しても、ちっぽけなケツの穴しか見えてこない。』
何様……???
上記↑の時期と同じ頃、積極的に扇動・分断工作していたロシアの記事。世界が不穏になればなるほど利する人たちと利する企業の問題。
https://wired.jp/2017/11/12/second-day-of-russia-hearings/