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日本の80年代半ば以降、アートの非政治化というか、フォーマリズムの再興の底流にアイデンティティポリティクスに対する反感がある(90年代?に岡崎乾二郎が批評空間でアイデンティティポリティクスを馬鹿にした発言がある、フォーマリスト扱いされると本人は怒るだろうけど)。反植民地主義とフェミニズムがアート領域で明確な姿を現したのがたぶん80年代で、それに対する反発が日本にはあったといえる。
アート以外の文化方面でも、非政治化みたいな流れってこの時期なのかな。

そのあとの村上隆とか会田誠あたりが(業界内的な意味だけでなく)政治的な内容の作品を持ってでてきたのは、どうみても岡崎世代に対する反発から来ているけど、反植民地主義とかジェンダーの問題はかなり歪んだ現れをしているというか、わかりづらすぎる(一見すると村上や会田のほうが岡崎より反動的に見える)。

岡崎の当時の政治的立場というべきかはしらないけどそういうものがあるとしたら、素朴なコスモポリタニズムで(これはたぶん今でもそうだろう)、バブル期日本と重なるのも偶然でもなんでもない。岡崎が岸田劉生に仮託して、岸田が北方ルネサンスを擬似的故郷として仮定することを引用しつつ語るのは、アイデンティティとはフィクションだという話だが、これが岡崎的なコスモポリタニズムで、アイデンティティポリティクスへの反発の内実でもある。岸田劉生が浮世絵から北方ルネサンスまで「引用」するのはシミュレーショニズム的な振る舞いだと言えるが、岡崎の立場の実態もそれに近いだろう。
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