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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

自分には、北斎とかって浮世絵の歴史的展開のなかで発達経路を追うことは可能だけど、けっこう例外的な天才に見えているのだけど、北斎をもって「日本文化の代表」とするような思考操作にぎょっとすることがある。こういうのも、一つの部分をもって「日本」という「全体」を代表させるキュレーション操作なわけですよね。

「一は全」って換喩的思考になるんだろうか。美術の歴史を示すような展示では、ある時代を「代表する」ような作物を配置することでその時代の全てを表象できるようにした、というようなキュレーション操作を「換喩的」だと誰かが書いていたのを読んでなるほどってなったんだけど。
換喩的操作って「代表する」ことの危うさが端的にあり、それは部分によって表された「全体」のほうから多様性を排除することでもあるし、代表をたてることによって「代弁する」というような危うさもあるかなぁとかふんわりしたことを考えた。
善の研究読んでいないけど。

親日であるかどうかにかかわらず攻撃的な態度が見えるのは弥助問題でも感じたことで、排外主義の発達がかなりすごくなっていると思うのだけど、白人に向けられる攻撃性は「サヨク」に対する嫌悪感なんだろうな。

梅原猛とか、アイヌ語に「原日本語」を読み取ろうとする試みがいくつかあったとおもう。あれは学術的にはどうなのかはわからないけど、「日本人とはなにか」という問いに答えようとするもので、「「われわれ」という文化的な同質性を構築しようとする企て」そのものだとおもう。柳田國男や柳宗悦が琉球に関心を寄せていたのはどう理解するべきだろうか。

というか、日本の場合は、「すでに社会関係が存在してしまっている他者をも包含する「われわれ」という文化的な同質性を構築しようとする企て」が柳田以来の民俗学であり、「自己と他者の隔絶した文化的異質性を前提として、その間に架橋する(支配であれ指導であれ)社会関係を樹立しようとする企て」が人類学だ。

ブラジルの人類学者ラモス(Ramos 1990)は、欧米では人類学が帝国建設(Empire-building)に貢献してきたのに対して、ブラジルの人類学は国民建設(nation-building)をめざしてきたという、同僚の人類学者の言葉を紹介している。この違いは、前者が、自己と他者の隔絶した文化的異質性を前提として、その間に架橋する(支配であれ指導であれ)社会関係を樹立しようとする企てであるのに対して、後者は、すでに社会関係が存在してしまっている他者をも包含する「われわれ」という文化的な同質性を構築しようとする企てだと言い換えることもできるだろう。

これ日本の場合は両方あるな

ラテンアメリカ諸国の独立の担い手は、植民地宗主国の文化的継承者を自認する植民地人たちである。それゆえに、例えば20世紀中庸のアフリカ諸国の独立の場合のように、独立後のナショナリズムの言説のなかで「植民地化以前の文化伝統の回復」というレトリックを用いることが原理的に不可能であった。それにもかかわらず、「インディオ性(Indianness)」を流用し、土着の先住民の正当な後継者として自らを規定する例は枚挙にいとまがない(Urban and Sherzer, eds. 1991)。ブラジルもその例にもれない。そのナショナリズムの言説は、ヨーロッパの植民地主義から独立を達成した主体としてのブラジル民族=国民という「われわれ」を事後的に構築し、その「われわれ」に土着の正当性を付与するために、先住民インディオという表象を流用し、同時にインディオが自らを表象する道を封じる。(略)インディオとは、他の民族と区別して「われわれブラジル人が何であるか」を定義するために、「われわれ」が利用できる専用の資源であり、「われわれ」が都合よいしかたで自由に定義する特権をもつ他者なのである。

第三章の「ブラジル独立後のコロニアル言説」、ある意味で日本にそっくりだ

国民国家が植民地主義のイデオロギーを再生産することによって独立を果たすのだから、コロニアルな言説は植民地主義国家だけでなく独立後の国民国家にも存在する。

しばしば指摘されているように、解放のイデオロギーとしてのナショナリズムと抑圧のイデオロギーとしてのナショナリズムは表裏一体のものである。ナショナリズムが「植民地支配に対する抵抗のもっとも重要な場」であることに疑問の余地はなく、それは植民地解放闘争を支える代表的イデオロギーであるが、他方それは「植民地主義が自らを再生産する力のもっとも顕著な証明」ともなり、植民地から独立した国家というかたちをとって「しばしば最悪の植民地体制にひけをとらないほど抑圧的な植民地主義のクローンが数多く生み出されてきたのである」(Dirks, ed. 1992: 15)。

早野龍五氏、不正論文疑惑からどうしたんだろうとおもって検索してみたら『「科学的」は武器になる』という本を出しておった

めっちゃいいインタビュー
https://level7online.jp/?p=3264

読み進めているけど、おもしろい。
異種混淆の近代と人類学: ラテンアメリカのコンタクト・ゾ-ンから (叢書文化研究 2) https://amzn.asia/d/bCbboJl

ひさしぶりに縄跳びしたけどやっぱり脚にくる

新版画の英語版Wikipediaをよむと、ほとんどお土産扱いで、彼我の認識の差がわかる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Shin-hanga

失われゆく「真正の文化」を保護し救出しなければならないと主張する人々も同様に、自律的であった伝統的分化を近代化が破壊しつつあるというかたちで現状を認識する。そこでは「伝統的なるもの(the traditional)」についての言説が、「近代的なるもの(the modern)」についての言説と相互に構成的な関係にあるということが否定されるのである。しかし、「伝統的」とは、本質によって定義されるものではなく、「近代的」と自己定義する中心との、(排除を含む)関係のしかたである。つまり、「伝統的」とは、近代の内部において近代に対する一定の位置であり、それに対する関係のあり方である。

『異種混交の近代と人類学』古谷嘉章

新版画運動の寿命の短さは、芸術家による内発的な運動ではなかったためであり、時代に即さない生産体制でもあった。新版画の受け入れ先はおもにアメリカで、戦争の開始は新版画の需要に決定的な打撃をあたえ、戦後にいたっても回復しなかった。

明治末から大正期の創作版画運動って、芸術家の内面とか個性が冒すべからざるものになったから生まれた運動であって、江戸の版元システムを再興しようとした新版画運動と対立するのはそこであるし、創作版画の「個人の絶対的自由」はあらたな政治的主体として成立するがゆえに後の民衆版画運動に繋がるのだと言えそうである。

『柳宗悦と朝鮮民族美術館』の図録すごい、朝鮮の人の固有名が一人、しかもことのついでのように一度だけしかでてこなかった。
1924年当時に柳らが景福宮内に朝鮮民族美術館をつくったのはそれなりにまじめなつもりだっただろうけど、いまの地点から振り返ってみて、日本人の固有名だけで埋める歴史を書いてしまうのが、当時まじで日本人しかかかわっていなかったからなのか、それとも現在の日本民藝館の人が朝鮮(韓国)にまったく関心がないからなのか。前者は考えづらいとおもうので後者だろうとおもうけど。

浮世絵が印象派に影響を与えたのは、印象派が浮世絵に「同時代の事象を同時代的に描く」ようなスタイルを見出したからだけど(こういうスタンスこそが「モダン」だった)、新版画とくに巴水の重要なモチーフは旅で、「見る」行為と見られる客体の完全な分離があり、この主体の疎外感が作品の味でもあるのだけど、これは印象派的な意味でのモダンではない。風景を描きつつ巴水が風景に読み取るのはノスタルジーという時間的なズレで、こういうのは原理的に印象派的な態度にならない。

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