https://www.momat.go.jp/exhibitions/423
一運動としてのキュビスムの紹介を超えて、アジアにおける国ごとの美術史を綜合的に捉え直すという狙いのもと、国というカテゴリーを解体し、
というのが、結果としては表層的な様式論的分析に依存することになって、主題にたいするアプローチそうなの?というギャップが拭えない いくらでもアプローチ改善できるとおもうんだけど、続きがあってほしい
だいぶ昔に「アジアのキュビスム」という展覧会があってその図録を読んでたんだけど、興味深い試みであるわりには、アジアでのキュビスムの受容は表層的にとどまった(様式として取入れられた)としていたのはかなり残念であった。それに対応して表面的な規準で作品を集めていたのも残念だった(これに対する言い訳が図録で繰り返されている)。戦前でも香月泰男とかかなりまじめにキュビスムの造形的問題を自分なりに扱ってたけど、図録には香月の名もないのだった。
理屈だけでいえば、戦前の大東亜共栄圏もおなじ理屈になっているんじゃないかとおもう。西洋でないものとしてのアジア。岡倉覚三は「アジアは一つ」と言ったけど、かなり無理があるパースペクティブだとおもっている。
「Aではない」という否定で共通の尺度をつくりだすという操作、昨日ジェイムズ・クリフォードの「部族的なものと近代的なものの歴史」を読みなおしてたけど、MOMAが提示する「部族的なもの」と「近代的なもの」を繋ぐ「親縁性(affinity)」について、
実のところ、部族的な器物とモダンな器物が類似しているのは、それらが、ルネサンス以降の西欧芸術を支配するようになった絵画におけるイリュージョニズムと彫刻における自然主義を示していないという点においてだけなのである
と書いているのを思いだした
対戦相手が事前に差別的なコメントだしてたからどうなるかと思ってたけど、普通に試合していたようでよかった
【パリ五輪】ボクシング女子、アルジェリアのケリフ選手がメダル確実に 適性資格で議論 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/articles/clwyyqnglnwo
【パリ五輪】ボクシング女子、アルジェリアのケリフ選手がメダル確実に 適性資格で議論 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/articles/clwyyqnglnwo
現時点では問題もなにもない(ケリフ選手を男性と疑う根拠がないのだから)のに、ありもしない問題を考えて「競技のレギュレーション上の公平性」について議論する意味なんてどこにもない。
実際のトランスジェンダー選手がでてきて権利を主張したときに、制度とギャップがある場合にそうすればいいわけだけど(ふつうはそうしているのだし)、なぜか「トランスジェンダーが女性スポーツに参戦したらどうなるんだ?公平なのか?」みたいなわけわからない問いを言う意味がわからない。そもそも、逆に現状ではオリンピックにトランスジェンダーの選手は事実上参加できないのだから、「何が公平ではないのか」は自明だとおもう。
実際のトランスジェンダー選手がでてきて権利を主張したときに、制度とギャップがある場合にそうすればいいわけだけど(ふつうはそうしているのだし)、なぜか「トランスジェンダーが女性スポーツに参戦したらどうなるんだ?公平なのか?」みたいなわけわからない問いを言う意味がわからない。そもそも、逆に現状ではオリンピックにトランスジェンダーの選手は事実上参加できないのだから、「何が公平ではないのか」は自明だとおもう。
ジャポニスムが有効に機能するのって、日本で生産され消費されるようなモノが、コンテキストを離れて別な文脈に差し込まれ、一度転写され研究されることによる。こういう過程で想像的なものとしての「日本」が形成される。たぶんほぼ同じことがプリミティヴィスムにおいても発生している。