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「Aではない」という否定で共通の尺度をつくりだすという操作、昨日ジェイムズ・クリフォードの「部族的なものと近代的なものの歴史」を読みなおしてたけど、MOMAが提示する「部族的なもの」と「近代的なもの」を繋ぐ「親縁性(affinity)」について、

実のところ、部族的な器物とモダンな器物が類似しているのは、それらが、ルネサンス以降の西欧芸術を支配するようになった絵画におけるイリュージョニズムと彫刻における自然主義を示していないという点においてだけなのである

と書いているのを思いだした

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理屈だけでいえば、戦前の大東亜共栄圏もおなじ理屈になっているんじゃないかとおもう。西洋でないものとしてのアジア。岡倉覚三は「アジアは一つ」と言ったけど、かなり無理があるパースペクティブだとおもっている。