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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

めちゃくちゃコード書ける外山恒一みたいな人が世の中に1人いたらいいのではないか(それストールマンかトーバルズではと一瞬思ったけどリーダーシップ強すぎて無政府主義者って感じではないしな)

IT業界、サヨク的なものとめっちゃ相性悪い気がするけどなんで?と思ったけどそういえばリーナス・トーバルズって左翼じゃなかったっけ

髙島屋京都店美術画廊で7.3〜8に開催された松平莉奈「天使・花輪・ケンタウロス」展。

関西や東京で個展に限らず精力的かつ多角的に活動を繰り広げている日本画家の松平莉奈(1989〜)女史ですが、意外にも百貨店での個展は今回が初めてとなるそうです。やっぱり日本画家は百貨店で個展を開いてナンボなところがありますから(←ド偏見)、松平女史もついにその閾に到達したかと、以前から何度か個展やグループ展で作品に接してきた者的には思うところ。

それはさておき、今回は「天使・花輪・ケンタウロス」という展覧会タイトルそのままに、これらを主題として描いた新作絵画が主に展示されていました。日本画を基礎にしつつ、そのメチエ自体の歴史性(いわゆる「日本画の制度性」と雑に呼ばれることになるアレ)を現実の歴史と積極的に交錯させていく──近世におけるキリシタンや戦前における図画工作教育などが俎上に乗せられることになる──ところに松平女史の独自性があるのですが、迎えた今回の個展では
天使をモティーフにした作品にそれを見出すことができます。そこでは天使はキリスト教における宗教画のというより、どことなく古代オリエント文明の、ことによってはシンクレティズム的な風土から生まれたようなテイストを見る側に抱かせるものとなっている。かかる天使の絵柄(絵柄?)がペルシアからシルクロードを経て奈良時代の日本に至ったことを勘案すると、松平女史がここでかような絵柄の天使を描くことで何を射程に入れようとしているかについて、一定の見通しを得ることができるでしょう。

話し逸れるけど、松方幸次郎の伝記読んでいてやっぱり一筋縄ではいかないなと思っている。川崎重工は労組との対決のなかで幸次郎の決裁で八時間労働を導入していて、また、不景気においても従業員の首は切らないぞと不退転の決意を持っていた。これが結果的には借金経営の常態化につながって銀行を巻き込んで破綻となるのだけど、破綻は結果論としても、幸次郎の8時間労働とか「従業員を首にしない」という決意はわりと社会包摂的な行動である。この幸次郎が宛にしていたのが、海軍による軍艦の製造需要で、軍艦の製造は当時、半公共事業的な性格もあった。ワシントン軍縮会議とロンドン軍縮会議でこの希望が潰えてしまうのだけど、川重による「包摂」は他の視点から見ればかなりエゴイスティックなものでもある。幸次郎のなかには「日本」というものがつよくあって、他の国との協働とかはあまり考えていなかったのは間違いない。それが川重社史における日露戦争肯定史観(植民地主義軽視)を導きだしている。

めんどくさい話をするけど、パレスチナ解放のためにイスラエル製の自律型ドローンの輸入を止めようという話をすると、じゃあ日本の国防はどうするのというめんどくさい議論が待っている。この時点で議論自体が割れてしまう。「命の選別をするのか」っていうトロッコ問題的な問題設定は疑似問題だと言われるけど、ここで問われるのはまさにそれで、そこに対してどういう解を与えるかは、議論が割れることがある場合にどう人と連帯するかという現実的な問題でもあるとおもう。
ていうか自分がいま松方幸次郎の伝記読んでるのはこれが理由なんだな...。

「俺らチームじゃねえし友達でもねえ。合言葉はたったひとつだけ。FreePalestine」というのはまさにシングルイシューにおける連帯のことだけど、たぶん「Free Palestine」を政治的成果として設定すると、いくつも複雑な問題にでくわしてしまってシングルイシューとして扱うことがだんだん難しくなってくる

デジタル庁もそうだけど、IT業界で多様性と包摂はここ数年重要なトピックであるけど、マイナンバーカードの使われかたとか見ても「包摂」の党利的な利用はあり、これはパレスチナのピンクウォッシュ的なものにも通じるところがある気はする。
https://www.digital.go.jp/policies/priority-policy-program/

今回のリリースで自分が歌った「俺らチームじゃねえし友達でもねえ。合言葉はたったひとつだけ。FreePalestine」のくだりに対しての捕捉です。今様々な場所で繰り広げられている運動において、パレスチナへの連帯が最優先され、その結果、運動内部での暴力が黙認されるようなことはあってはならないと思っています。それは正しく問題にされるべきことです。大事なことだと思うので念のため追記しておきます。

パレスチナの曲を出したときの自分の歌詞も提出してしまってからこの点のことが気になってしかたなかった

https://x.com/UshidaYoshimasa/status/1735219473924370465

[コラム] ‘三たび小池百合子’で失われる朝鮮人虐殺の記憶

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/6554c6db7390cadd8c6a43fabaeaac2f0931d674

"小池氏の顔に、13年にわたって同じ東京都知事を務めた故石原慎太郎氏の顔がオーバーラップする。違いはある。差別用語の「三国人」を使い朝鮮人への嫌悪を煽った石原氏ですら、式典に追悼文を送っていた。その背景に戦中派世代としての意識や、今はもう朧気な‘日本リベラル’の監視の目があったのかは分からない。

だが、虐殺の歴史すら曖昧にする小池氏の心中はまるで、荒野のように茫洋として掴みようがない。追悼文の送付は選挙においても小さな問題に過ぎなかった。震災101年を迎える時期に起きたマイルドな差別主義者とも言うべき同氏の三選は、虐殺の墓標が忘却の一里塚になるのではという悪いイメージを呼び起こす。

良識ある東京の有権者の中には「何をまた古い話を。そう決めつけないでもらいたい。我々には生活がある。追悼文の有無だけで都知事を選ぶのではない」と顔を赤らめて怒る人がいるかもしれない。そうだろう。それは理解できる。ならば小池百合子氏に向かって声を上げてはどうか。「今年こそ追悼文を送れ」、と。"

労働運動は明確に組織なんだよな。ストのための予備費も準備するし。

この記事のことを考えていて、こういう活動モデルが政治的には無力すぎるんじゃないかということを考えている https://gendai.media/articles/-/130062

何らかの組織が集団的かつ統一的なプログラムに基づいて活動を展開したというよりも、むしろ、(…)臨機応変に可変的かつ可塑的な連繫のもとに同じ課題を共有したということ以外の何ものでもない。

@imdkm 安芸高田市の動画は本人があるていど口出ししてまとめていたとおもいます。切り取られかたも考えているんだとおもいます。

選挙活動にYouTubeつかうかどうかって、こういう話で、YouTube内でウケがいいコンテンツつくるとかなんとかじゃなくて、あるコンテンツを出したときのユーザーからのフィードバックを確かめながら、どんなレスポンスを作っていくか、そういう探っていくサイクルってどうやっても必要で、選挙期間だけでこういうのやるのが可能なわけがない。

"巷間では、営業プロセスやマーケティング手法が魔法の槌であるかのように語られがちだ。しかし、営業が強いと評判のキーエンスさんに関する本など読んでみると、いわゆる「営業力」で売っているというより、営業からのフィードバックで製品を良くして売っておられるように見える。"
https://x.com/sugimoto_kei/status/1810249405943222632

蓮舫さんが残念ながら都知事選で敗北して、敗因が立憲民主党内でもいろいろ言われているけど、私はなぜ敗北したか知っている。立候補が5月27日、投票日7月7日、活動期間6週間程度。そりゃ無理でしょ。地方選挙は4年に1回だから、4年前からできるし、もっと前からでもできるけど、せめて1年前からじゃないと当選はしないだろうな。

いやなんか、表明から実働までもすごく遅かったし。動きを聞くと「普通にやればもっと票取れましたよね…?選対なにやってんの…?」てか、ほんとうになにやってたのか意味不明すぎて怖いねんて。こんなん、後出しでうんたらとか、共闘云々以前の問題ですもん。

YouTube大学、今回の都知事選でいちばん感心したコンテンツだったな。三候補にじっくり話聞いて、それぞれを丁寧に掘り下げてて、まじすごいなとおもった。

YouTube大学すすめると「えええ…」って言われて結局誰も見てくれないんだが、私は中田敦彦のオンラインサロンに半年くらい入ってたのでわかったのだが、あのひとはこっち側ですよ…。

おもしろそうとおもったけど、値段...

映画館に鳴り響いた音 - 春秋社 ―考える愉しさを、いつまでも https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393930496.html

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