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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

私は90年代半ばに大学生だったんですが、中野翠のコラムを読んで『ゴー宣』を読み(念のため書いておくと中野翠は偏った主張がマンガの力で説得力を持ってしまうことの危険性に言及していた)、その話を当時所属していた音楽サークルの後輩男子に話したところ、「あんなのまともに読んだらダメだよ」と諭されたのがものすごく恥ずかしくてそれきり読んでないです。ハードロック好きの後輩ありがとう。私より年上で入学時から髭生やしててガタイがいいからどう接していいのかわからなくて初対面の飲み会でゴー宣の話をしてしまった私もだいぶアレな人間だがそれが結果的によかった。そういえばマ・ドンソクのこと初めて見た時に真っ先にこの後輩のこと思い出したんだよね(ほんのちょっと似てる)。

……なんかゴー宣読んだことがあるって書くだけでだいぶ勇気がいるし恥ずかしいなもう何十年も前のことなのに。

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自分は90年代後半に高校生だったけど、ゴー宣読んでるやついたんだよな。そういうやつは洋楽ロックを聞いていて、登場したばかりの椎名林檎を絶賛した。ナンバーガールを教えてくれたのもそういうやつの一人からだった。

90年代保守の言説を支えたのが司馬だという指摘があり、そのとおりだったので訂正します
https://digital.asahi.com/articles/ASR8B3SR0R88UCVL01B.html

司馬は自虐史観だからダメ!みたいなのが90年代保守の論調としてあったけど、自虐史観どころか明治政府全肯定してないですかみたいなところある。こういう意味での司馬史観はめっちゃ残っているとおもう。

司馬遼太郎は、武士的なモラルみたいなものを評価するから明治政府の樹立から日露戦争までが高評価になるので、彼は「よき為政者」みたいなイメージを日本にバラまいたうえで植民地主義に関する問いは完全に欠落する

わたしは中学生のころに司馬遼太郎を読みはじめたのが本を読みはじめたきっかけなんですが、いま思うと、司馬が明治政府の立役者は偉大だった、太平洋戦争の指導者は愚かだった、なぜこんなことに、みたいな間違った問いを立ててしまうのも、彼は戦国時代ものとかたくさん書いていて、軍事力で領土拡大するのは当然だと思っているところからすれば、明治の軍事力を背景にした植民地主義に対する問いがまったくないのも整合する

スポーツの日本代表をサムライジャパンって呼んでるの恥かしいからやめてっていつもなる

@hidetakasuzuki まだその習慣があるのね。
「第二次世界大戦敗戦前に本州、北海道、九州、四国以外で日本が支配していた土地」とWikipediaに書いてあったけど、北海道は植民の歴史が新しいし、それより北の領土(外地)となると北方諸島くらいになるわけだから、北海道が「内地」か?というのは気になった。

ネトウヨも「この前コロンブスの件disったばかりだしさすがに整合しないなぁ」とおもって手を出していないとか

いまのところ、このTwitter版投稿はそれなりにバズってて、そろそろ右翼から攻撃きそうだな〜と返信欄を閉じた。
が、いまなお引ツイで右翼からの攻撃がないし、渋沢栄一のあの欲深そうなジジイの面構えと相まって拒否感を持つ人の方もけっこう多いのかもね。「日本型資本主義の父」というのが現在の保守にポピュラーな渋沢栄一像なんだが、左右を問わず、日本型資本主義にありがたみを感じない人も多いのもありそう。

心から蓮舫に勝ってほしい…。彼女が勝ったら絶対に官公庁の態度もすげえ変わるんだよ…秋の臨時国会、来年度の予算。交渉や懇談でまた覇気のない死んだ目で定型文を読み続ける官僚と対峙するのやだ。彼らの態度、どんどん酷くなっていて「私は粘土と話してるのかな?」みたいな状況なんですよ。ほんとやだ…

高橋是清が積極財政に転じるが、同時に軍備拡張路線にもなる、というか軍縮が造船業の不景気を呼びこんでいるので、業界への救済措置的な意味もあるのだろう。

Wikipedia最後まで読んで、「「持てる国」と「持たざる国」との二極化」って書いてあるのは笑ってしまった。

昭和恐慌、発生原因はともかくとして緊縮財政をとったのがめちゃくちゃダメージを広げていて、なぜ緊縮財政にしようとなるんだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C

それこそ田母神俊雄が公開質問状で朝鮮は植民地ではなかったとする根拠に朝鮮出身の議員の存在を挙げているのとか、モロだよね

"日本の周辺地域統治の総体にあえて「〇〇主義」の名称をつけるなら、後藤新平や寺内正毅が述べたように「無方針」「漸進主義」であり、あるいは「ご都合主義」しかないだろう。支配下においた人間たちを「日本人」であるともないとも言明せず、その時々の状況判断によって包摂と排除を使い分ける姿勢は、「包摂」「排除」ないし「日本人」「非日本人」という二項対立からみれば矛盾であり、分類不能のあり方にみえる。だがこれは、支配側が「日本人」「非日本人」といった分類枠の言葉では表現しきれない願望を抱いていた結果にほかならない。この曖昧さこそ、支配側が「日本人」の境界をその時々の利害によって決定する裁量権を確保するために設けた抜穴であり、支配がもっとも発揮される場であったといえよう" 『〈日本人〉の境界』 654ページ

結局内・外の境界設定をずっと曖昧にしつづけてきたのが一番の問題というのは小熊英二も指摘していたような

ポスコロ的な認識・理解が歪みまくっているの、じつはこのせいだったりしないのか

日本政府が内地以外の統治区域を植民地と呼ぶことは珍しく[要出典]、ほとんどの法令は個別の領域名(樺太・朝鮮・台湾等々)をもって記述されるのが通例であった。

めちゃくちゃ日本っぽい...

日本における外地(がいち)とは、第二次世界大戦敗戦前に本州、北海道、九州、四国以外で日本が支配していた土地を指す語である[1]。

属地(ぞくち)とも称され、台湾や朝鮮などの日本の領土だけでなく日本政府の統治権が及ぶ外国の地域も含まれた。外地に対義する地域は内地と称されたが、「内地」が共通法に基づく法的用語だったのに対し、「外地」は法的に定められた用語ではなかった。

日本では、日本の支配下に置かれた朝鮮や台湾等を「植民地」という用語で表現することが一般にあったが、それが1920年代頃から「外地」に切り替わっていったという指摘がある[2]。「植民地」という用語は、もともと政治上又は経済上の用語であって、法律上の用語としては適当でなく、「植民地」の原語に相当する外国語(コロニー)と同様に、帝国主義的搾取という特殊の連想を伴いがちで、大日本帝国の新領土統治の本旨を適正に表現するにはふさわしくなかったと指摘されている[3]。なお、法律上の用語として「植民地」という用語に代わって「外地」という用語を用いるようになったのは、1929年(昭和4年)の拓務省の設置を契機とするとの指摘がある[4]。すなわち、主として朝鮮の官民が植民地扱いされることを喜ばなかったことから、拓務省設置後、小村欣一拓務次官の座談から、「外地」という用語が生まれたとされている[4]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9C%B0

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