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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

中平卓馬早めに見に行かないと花粉で外出たくなくなるな

自著買いだろうと思ってたけど、他の人の本も買ってたのか。
市場で売れないような本を配るのはただのムダだからいいとして(税金でやってると考えれば腹は立つが)。
事実上の自費出版本のノルマを肩代わりするのは3点方式的な贈賄じゃないかとも思うんだが、これは合法なんだろうな。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/999248

Bluesky「連合はおまけ」

これはひどい

>Xユーザーのshobotchさん: 「 https://github.com/expressjs/express/pulls?q=is%3Apr+is%3Aclosed Expressのリポジトリが荒らされている件、PRの一覧みたらマジで大変な事になってたわ。 Apna CollageとかいうYoutubeの動画でExpressにPRを出す例を取り上げていて、それを見たアホたちがそのままPRを出し始めたっぽい。マジで酷い」 / X
https://twitter.com/dll7/status/1757653482545524851?s=12&t=PtWBvHT1RWnW8fAtsaMgDg

※個人の感想にたどり着けないインターネット - 関内関外日記 https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/02/02/130254

この時期、立身出世主義などとはま逆に、武士が浮世絵をやるなどがあり、それがいま千葉で展示している鳥文斎栄之なのだが、この時期の特徴なんだろうな。それだけ町人というか吉原周辺が強かったんだろうという気がする。図録はいつも通り金権政治の説明とかないんだが...。

芸大の大吉原展は、「公界の格式」などの言葉がでてきて、でも中心は蔦屋重三郎や歌麿などの時期のようなので、中世史の概念をもって近世史を見る筋悪な議論になりそうな気がしてきた。

こういうの見ると遊廓におけるメディアの発達は近代のはじまりでもなんでもないな。蓄財の観念がなくて資本をもとでに資本を生むみたいなサイクルがない。基本的には田沼政権下での堕落の一部と見てよさそう。
江戸中期の浮世絵をどう見ていけばいいかだいたい理解できた気がするので、このあと(歌麿らの世代の後)北斎や広重がでてきて、風景画が発達する理由が気になるな。

田沼政権の金権政治で貧富の差が拡大、農村が荒廃している。 一方では都市部の金持ちの金余り状態をつくりだし、遊廓が派手になる時期でもある(蔦屋重三郎や歌麿、鳥文斎栄之などの登場)。当時の金持ちにお金を元手にして産業を生みだす…など期待できるはずもなく、遊興に使う以外になくて遊廓が発展してしまったんだろうな。それは他方で貧困化する農村から人買いが容易になるということもなんとなく推測できる。

田沼時代の運上金、冥加金の上納を引き換えとして特権を与えるなどといった商業資本重視の政策は下層への搾取を生み、富商・富農の誕生を促進させた。富を商品流通構造に係わる一部の生産者へと集中することによる貧富の差の拡大が進行し、小農の経営を破壊し、離村する農民の増加を促した。離村した貧農は都市へと流出し、農地は「手余り地」となって、耕作されずに放置され、農村の荒廃を生んだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E4%BF%A1

「遊廓はセーフティネットだった」という言及がめちゃくちゃバカにされていたけど、当初の幕府の機能に富の再分配も雇用の創出もあったはずもなく(それが課題だとすら認識していなかったとおもう)、遊廓がセーフティーネットとして機能するのはそうでは?とはおもってしまうな。そのへんの証拠がどのくらいあるのかもわからないけど、網野義彦の議論に沿うと変な話ではない。
遊廓の性格は江戸中期くらいから変わるようで、それが蔦屋重三郎のような出版人の登場と、出版文化に支えられた浮世絵の隆盛に代表されるとおもわれる。歌麿とかに代表される派手な出版文化が起きるのが田沼時代で、田沼失脚後には蔦屋や歌麿らは厳しい弾圧にあう。これは、網野史観的な「公界」と封建権力の相剋(中世の延長)と捉えるべきなのか、それとも近代的な資本主義の勃興(近代の始まり)と捉えるべきなのか?

江戸時代はかなり長く、いつのまにか近代を胚胎しているけど、幕府も遊廓も不変であるかのように倒錯してしまう。

ハンターxハンター、1998年から連載開始しているのか...。いまさらびっくりしてしまった。

アメリカの社会構造と江戸期の社会構造がアナロジーで把握できるならハイブロウ/ローブロウの概念も有効に機能しうるけど、出版業・経済観念の発達、軍事政権からの検閲の強さなどは頭に入れておかないとあやうい

浮世絵調べてて思ったけど、現実を虚構としてのみ消化するのは日本文化の特長なのかもしれない(雑発言)。

俗世間と公界っぽい話だな

これの話な

"ローティは、公私の区別こそが民主主義の基盤となると主張し「バザールとクラブ」というモデルを提示。私的な仲間内の「クラブ」ではいかなる奇抜な趣味、異常な趣向をもっていても同好の士の間で共有されるが、そこから一歩外へ出ると自分の基準からは許しがたい価値観の人々も交錯する「バザール」が広がると考える。「バザール」内では公共的な規範やマナーが重視されるべきで、そこを整備することこそ哲学の役割だとするのだ。"

名著136「偶然性・アイロニー・連帯」 - 100分de名著 - NHK
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/pEwB9LAbAN/bp/poVnBqWgLo/

いまの社会がプライベートな場所・パブリックな場所がごっちゃになっていて, 間違っているかもしれないことを安心してしゃべれる場所がなくなりつつあるかもしれない. という問題感
これは一見「間違っていることを安心してしゃべれる」??となるが, そういう安心感があり信頼の中だからこそお互いの信念をまあそういう考え・視点もあるよねと受け止められて, もしかすると自分の信念に少しの変更をいれられるかもしれないね, という話.
そして, 逆にもちろん公共的にはそういうのがないような振舞いが求められはするのだけど

[寄稿]ガザ地区についての真実を言うタイミング
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/49120.html

"真実がそれを伝えられる人たちに影響を及ぼすようにするためには、それを言うタイミングが重要だ。ガザ戦争に対する政治的な陳述も明らかにそうだ。昨年10月7日のガザ戦争勃発直後、ハマスの攻撃によって火で焼かれたユダヤ人の遺体とされる写真が大きく報道された。イスラエル政府は1カ月後、その写真はユダヤ人ではなくイスラエル軍によって焼かれたハマス側の人たちの写真であることを認めた。ハマスによる子どもの斬首疑惑も翻った。2つの偽りは「ファクト」として登場して世界的に大きな注目をあびたが、イスラエル政府の是認は大した注目を集めなかった。つまり、イスラエル政府は、全世界的に強い影響を及ぼす瞬間には偽りを言い、自分たちの話がささいな訂正程度として受け入れられることになった時点で真実を言った"

イスラエル、140万人を1カ所に追いつめ陸海空から空爆開始
https://japan.hani.co.kr/arti/international/49132.html

「妻そして母となったことを機にミエーレ・レーダーマン・ユークレス(一九三九 ~)は「メンテナンス・アート宣言」(一九六九)を書き、家庭内の男女別役割という視点から制度批判を展開しました。彼女は労働を「発展」と「維持」に大別し、伝統的に女性が担い手とされてきた家事を後者に位置付けます。そして家事が正当な労働と認知されてこなかったのと同様、美術制度でも「発展」労働が創造的なものとして称揚される一方、「維持」労働が不当に軽視されてきたと主張しました。ユークレスは「メンテナンス」(維持)を「アート」の領域に持ち込むことを「宣言」したのです。  ニューヨークのホイットニー美術館での《私は一日一時間メンテナンス・アートをつくる》(一九七六)で、彼女は館内の清掃や管理を担う作業員に参加を促し、一日の労働時間のうち一時間を芸術制作に割り当ててもらいました。その一時間で作業員がした日常的労働行為は記録され、芸術作品として展示されました。」

—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
https://read.amazon.com/kp/kshare?asin=B089YND6HD&id=ahb6icwenjgc3byhcvpho2iboe

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