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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

及川氏はなにも考えてないとおもうけど、「技術=文明をもった近代人」が「技術をもたない野蛮人」を知性の欠如した存在として表象してきた、みたいなことにはなにも関心がない。そうすることで、新技術の持ち主は旧文明を強制的に「文明化」することを肯定してきたけど、常識的に考えて知性が欠如しているから新文明に適応できないのではない。
https://twitter.com/takoratta/status/1709383359124918691

事前に変な計算処理させてたからかも

私のChatGPTちゃんは1ダース買い,5個を失ったと回答した。天重氏とどこが違うんだろう。

6個入りの0.5ダースを認めることができるなら、7個入りの0.5833ダースがあるとしてもいいやん

0.5833ダースはおかしいけど0.5ダースはOKって、なんの差なんだろうな。

「7個のリンゴを買ったきた場合、バラ売りがないとして、何ダース買ってきたのか」という質問に、0.5833ダースを整数に丸めて0.5ダースだとする。それでは6個になり1個たりない、というとだんだん矛盾を処理できなくなってくる。
0.5ダースを認めたら1/12ダースは認めてはいけないのか?まあそれはバラ売りと等価になるんだけど。へんなところは常識があるんだけど、質問がおかしいですねとはならない。
「温マさんは7個のリンゴを買ってきました。リンゴは、1ダース(12個入り)で一箱で販売しており、バラ売りはしていません。温マさんは、何ダース購入しましたか?」という質問をchatgptに与える。「通常はダース単位で販売されるため、0.5833ダースを整数に丸めて、0.5ダースまたは1ダースとして扱うことが一般的」と回答がある。 ChatGPT「申し訳ありません、前回の回答が不明確でした。  0.5ダースのリンゴを購入した場合、通常の購入単位に合わせると6個のリンゴが提供されることを意味します。つまり、0.5ダースのリンゴを購入すること自体が、通常の12個入りのダース単位で買うことを意味しています。  したがって、温マさんが0.5ダースのリンゴを購入した場合、そのままの購入単位で6個のリンゴが提供され、もう一つのリンゴがどこから来るかという疑問は存在しません。温マさんは6個のリンゴを購入し、0.5ダースのリンゴとして支払ったことになります。」私「しかし、事実温マさんは7個のリンゴを購入してきたのです。」ChatGPT「申し訳ありません、前回の回答が誤っていました。温マさんが7個のリンゴを購入した場合、通常の購入単位に合わせて考えると、7個のリンゴは1ダース(12個入りの箱)と0.5ダース(6個入りの箱)を購入したことを意味します。  具体的には、1ダースの箱には12個のリンゴが含まれ、0.5ダースの箱には6個のリンゴが含まれていると考えられます。したがって、温マさんが7個のリンゴを購入した場合、1ダースの箱と0.5ダースの箱を購入し、それによって7個のリンゴが提供されたと考えることができます。」私「1ダースの箱と0.5ダースの箱を購入すると、18個のリンゴを買ったことになりませんか?」

やっぱり難しいよなぁ

やっぱりメンタルモデル形成しているよな、これ

ChatGPTに小数点の掛け算させてみて、数値のみだとふつうに計算してくれるけど、モノ(リンゴとか)におきかえて計算させてみるとけっこう壊れる

ド地方にある100年ものの物件って扱いむずかいしな...

めちゃくちゃ笑ってる
https://www.nicovideo.jp/watch/sm1618382

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」展|2024.3.12〜5.12|国立西洋美術館

出展作家:飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣、小沢剛、小田原のどか、坂本夏子、杉戸洋、鷹野隆大、竹村京、田中功起、辰野登恵子、エレナ・トゥタッチコワ、内藤礼、中林忠良、長島有里枝、パープルーム(梅津庸一+安藤裕美+續橋仁子+星川あさこ+わきもとさき)、布施琳太郎、松浦寿夫、ミヤギフトシ、ユアサエボシ、弓指寛治

https://www.museum.or.jp/event/113709

唐突に一報に接してかなり驚きました。国立西洋美術館という、現代アートと無縁な場所で行なわれることもさることながら、出展作家のラインナップもかなり破格でして──この並び、東京&京都国立近代美術館や国立国際美術館でもなかなか実現すまい──、これまた様々に話題をかっさらうでしょうなぁ(というか、会期が丸かぶりなVOCA展がとんだトバッチリを食らっているような…… blobcatnervous2

この本に、この展示に際しての作家たちのパネルディスカッションが記載されているんだけど、作家がどういうことをやっているか説明しているところを客席から割って入って「作家が三人いるんだから個性があるはずだ、それをどう受けとればいいのか」とか「内面はどうなっているのか」みたいな、めちゃくちゃピントが外れた質問を立てていて、すれ違いまくっているのがおもしろい。1969年当時の「美術」の観客は「描かれた絵」というものがあったら内面とか個性とかそういうものが必ず表出するはずだ、と考えていたっぽい。

馬と人間の中間図。
馬と人間の線図を重ね、それぞれの図の各頂点を結び、中間地点をつないでいる。

柏原えつとむ、小泉博夫、前川欣三らによる「Mr.Xとは何か?」で、磯野波平とフジ三太郎を手動で合成して一つの図を作っていて、ちょっとおもしろい。1969年。
磯野波平とフジ三太郎の線図。「1の視点 イソノ氏であっても三太郎氏であっても、グラフ(A B C 1 2 3)に位置をしめ、線又は面で構成されるフォルムにすぎない。」と記載されている。 磯野波平とフジ三太郎を合成した図。「2の視点 上手のものはたとえ、数値的にその距離と位置を確認できる線、面によって構成されているものであっても、それが何であるかを認識できうるフォルムである。」「2の視点における合成により生ずるフォルムは、常に認識可能なフォルムである。」と記載されている。

このふたつのテキストが同時期にありつつ、千葉が戦後美術、北澤が戦前(というか幕末から明治初期)を扱い、この中間にはまあ大正とか昭和初期とかあるけど、それらを単純につなげたら一つの歴史が形成されるかというと、そんなことはありえない。戦後を中心に問題を見ると、想像力が戦争より前に遡ることに困難があり、まったく切れているように感じる。戦前のほうから戦後を追いかけてみると、ふつうに繋っている。

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