忘れないようにメモしておく。
90年代のニューアートヒストリー全盛の中でアカデミックな教育を受けた私にとって、マティスほか近代の巨匠たちを男性中心主義、植民地主義的な価値観で問い直すというのはむしろ主流の議論で、その前提からいかに次の議論がありうるか、と言うのが私たちの世代の課題であるという認識でおりました。(カタログに掲載されたマティスのアフリカ彫刻の受容についてのアステア・ライトさんの論考は、その言説に閉じ込められたマティス像を開くという意図を持っています。
これについて、まあそういうふうに思っていたんだろうなと思うんだけど、「その言説に閉じ込められたマティス像を開く」みたいな言い回しに、「男性中心主義」や「植民地主義」で何が議論されていたのかの内実を無視して、たんにその抑圧だけを感じていたんだろう。その鬱屈が90年代以降のフォーマリズムへの過剰な迎合として、フェミニズムやポストコロニアリズムからでてきた議論をスポイルするものとして作用していた、としか読めなかった。
Slackのデザインには気に食わないものがたくさんあるのですが、それでもある程度非同期的なコミュニケーションが可能になっているのはチャンネルごとにコミュニケーションの速度が違うためで、個人サーバーみたいにHTL単一だとHTLの速度のみでコミュニケーションすることになり、フォローを増やすと辛いなと最近思っていました。
https://www.pixivision.net/ja/a/3122
読んでたら悲しくなってしまった…
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E7%94%BB
>日本国内のアニメ業界では、1990年代後半以降、デジタル彩色の導入が業界規模で進行した。その一方でセル画製作の技術を持つ人材の減少・高齢化が急速に進行し、並行して業務用セルの流通が減少したことで業界各社はセル画による制作の継続に不安を持ち、さらにデジタル彩色の普及が加速度的に進む結果になったが、その中でも2000年代初頭の一時期にかけては、セル画の技術しか持たずデジタル彩色の技術習得の機会にも恵まれない中堅・ベテラン世代のフリーランスの彩色スタッフが一気に淘汰される結果にもなり、無事に業界に残った者の中にも、デジタル彩色の導入がテレビアニメほど急激に進まなかったアダルトアニメの制作に携わることで、デジタル彩色の技術を習得するまでギリギリ食い繋ぐなどといった状況が見られた。
> 日本的という意味を一言で尽せば「木版式石版が日本の特色となって、今日も尚連綿としてそれを改めない」茲に木版式というのは平面的であって、淡薄であるという意味にもなる。これが日本石版術の特徴である。
> 多年木版と日本画をもって養われて来た我日本人の頭脳は、遺伝的にもやはり淡薄を好み平面を好む筈である。近時多少共、濃厚立体的趣味を理解してきたとは言え、やはり依然として古来の習慣は脱け切らぬものがある。これが国民性だと論じるならば、私は黙認する。而して長年月を経るうちには何とか変化する性質のものであるかもわからない。それはとにかく、今日迄事実となって現れた所に拠ると、日本の石版は外国とは違った特色を備えて発達してきたというより他に仕方がない。
(「浮世絵の知識」織田一磨, 1930)
「国民性」とかはアレだとしても、百年近く経っても傾向が変わらなかった(と自分は思っているんだけど)のはなんでだろうな…。
例えば、Abletonをほんの少しでも触ったことがある人なら、一時期の日本語ラップになんであんなに同じようなハイハットシンバルの音が入っていたのかってわかると思うんですけど、そういう、テクノロジーのせいでそういうふうにしかつくれなかった、みたいな話を細かく書き残していくのは、大事だなぁ、と思ったという……
あと、博物館美術館史料館の類を作る時って、どうしても、一般の観覧客が入る所ばかり注目が行きがちだし、整備する主体(自治体とか企業とか)もどうしてもそこばかり力を入れがちなんだけど、博物館・博物館相当施設・類似施設のお仕事内容を考えると、どっちかというと、所蔵品の保管エリアや調査分析を行う設備も同様に大事。……なんだけどなぁ。
「保管場所がない」博物館の収蔵庫 全国6割で“パンク状態” https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000310456.html
郷土資料館なんかだと、せっかく集めた郷土資料(農具とか民具とか)が充分活用されないまま、下手すると台帳すら作られないまま、廃墟同然の建物に温度湿度管理もないまま押し込められていたりする。
みんなもっと、地元の郷土資料館に関心持った方がいいと思うし、相応の予算を付けてあげて欲しいとも思う。住民のアイデンティティを担保して保存継承する施設やぞ……。