水上文さんによる佐藤かよさんのインタビュー記事。とても良かった。eスポーツの特性や属性で階級が存在しない誰にもフェアであるところは希望を感じる。
インタビュイーとインタビュアーの間に理解と問題意識がちゃんとあるから、おかしいことがおかしいと当たり前な話になる。鼻息荒くせずともこうして聴き、語られるそんな記事がもっと読みたいし、必要。
https://www.gqjapan.jp/article/20230721-kayo-sato-gq-voice
https://hokusai-museum.jp/modules/Exhibition/#2
敗北を前提としつつ(撤去されてもよしとして)、別な目標をセットしていくなどの議論があってよかったとおもう。でも宇佐美問題からこのかた、作品の保護そのものが運動の目標になってしまっている。
では、公共性というのをどう考えるべきかというのが総括されるべき話で、自分の考えるところだけ言えば(理論的根拠などはない)、いくつかの権力の主体(暴力の主体かもしれない)が実際にネゴシエーションしながら開いていく場がそうなんじゃないのか。今回の場合だと高島屋(土地所有者)と美術批評家連盟などの業界になるんだとおもうけど、その過程がだいぶ不透明だという印象があるし、この過程に住民が参加しているのかとか、そのへんが重要なんだとおもうけど、「作品に芸術的な価値があるから残すべき」っていうのは、あってもいい意見の一つとはいえ、あまりに内向きの理屈じゃないかとおもう。
作品の内部に批評的な射程があり、批評家はそれを取り出すだけということになると、批評家の批評眼はどこにあることになるのか?というのが一点。
それと、廃棄される大量の作品群があって、そのなかからとくに岡崎さんや宇佐美さんの作品を選択するのが「作品に批評的/理論的な可能性があるから」ということになっているのが、恣意的な選択でないはずはないのだけど、その恣意性が客観的であるかのように語られるというのが、もう一点。恣意性がわるいわけでもないし党派的であってもいいんだけど、その恣意性が隠されてしまっている。
批評は、みずからの恣意的な判断を公共的なものとして主張することだとおもうから、それ自体政治的な活動だと言っていいけど、そこは曖昧にされていると感じる。
今回の場合だと、岡崎作品が主張するように、ある場所を「誰の所有でもない場所」として主張するというのは、それを強制的に成立させるような仕掛けがあったかというと結局なかったという結論になるとおもうんだけど(だからこそ撤去を左右できる権力による恣意的な判断がある)、高島屋という資本とのネゴでしか「誰の場所でもない場所」が成立しないということが矛盾していて、たぶんおおっぴらにそれを言っている人がいない気がする。そういうネゴシエーションにたいして作品内在的な可能性の開示することで「理解」してもらおうというのは啓蒙主義的すぎるのではないだろうか。
https://gendai.media/articles/-/113608?imp=0
https://note.com/hitoimitation/n/n958f39b384d0
美術館における経験、その作品を堪能するときと、事後の感想戦があって、この感想戦を甘く見ていることがおおいように感じる。
それで、現在の毎月の費用ですが、fedibird.com、nightly.fedibird.comの費用を合わせて145,000円ほどです。
fedibird.comは、何か事件があって、急に休眠しているアカウントがアクティブになると負荷がオーバーするため、もう一台メインサーバを確保した方が良いかもしれません。その場合は175,000円となります。
目標としては、これを全額寄付で賄えるところに持っていきたいというところです。
なお、fedibird.comはアクティブが1万人いるため、アクティブ全員が住人プランで寄付してくれればおつりが出てしまいます。年額300円、月で25円のプランです。
実際にはそこまで望めないとしても、1,000人が住人(10人分)プラン(年3,000円・月250円)で支援いただければ、同様に足りる計算になっています。
冗談みたいなやつですが、住人(100人)プランというのも一応用意しておきましたw
一人一人はまったく無理する必要はありませんので、可能な範囲で、広くご支援いただけると幸いです。
なお、多額のこれまでの累積赤字がありますので、多少オーバーしても営利に該当する心配はありません。ご遠慮なくお願いしますw
#fedibird #fedibird_info