運動の発端において「作品の保護」が目標になったことに問題があるとおもう。「作品の保護」を目的化すると「作品の保護」の理論的な価値を述べることになる。批評的言説がここに終始している。
敗北を前提としつつ(撤去されてもよしとして)、別な目標をセットしていくなどの議論があってよかったとおもう。でも宇佐美問題からこのかた、作品の保護そのものが運動の目標になってしまっている。
敗北を前提としつつ(撤去されてもよしとして)、別な目標をセットしていくなどの議論があってよかったとおもう。でも宇佐美問題からこのかた、作品の保護そのものが運動の目標になってしまっている。