pleroma.tenjuu.net

tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

いや、ぎょっとするわ...。どんな顔でこんな発言をしていたのか。
「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」p.392の画像。高坂正顕が、ヨーロッパがもたらした近代世界は真理性がなかったわけではなく、近代科学などはもっと研究する必要がある、日本は近代化して科学を受容できたが、「日本古来の清く正しい精神力」によって近代科学の誤謬を見抜いた、と主張している。

京都学派、けっきょくヨーロッパ近代個人主義憎しで「総力戦」という観念のもとに、専門分化した各領域に統制的な介入をしていく国家というものを秩序だと考えていて、当時のイデオロギーそのものなんだけど、それはともかくとしても、なんというかそういう統制的な秩序しかイメージできなかったのはやはり彼らの限界だなと感じる。マイケル・ポランニーとかが彼らよりちょっと上の世代にいるけど、彼は生命の創発的な特性を社会に敷衍して考えていたわけで、京都学派の面々が新しい哲学が必要だって言っても、古いモデルしかもってこれていない。

ART SINCE 1900 ようやく買った、ざっと眺めてどれもおもしろそうなんだけど、致命的に視野が狭いな...

日本の戦争、まじでしょうもない...

京都学派による座談会、なんかうまい具合に体系的なものがでてくる、もしくはそれを創造すべきだ、それこそ新秩序なんだ、西洋近代は旧秩序だ、そういう秩序を形成することが総力戦の意義だって話ばっかりしているんだけど、この人たちには他者というものがなくて、中国にせよ他のアジアにせよ日本のように近代化しなければならない、日本の戦争の意義を理解させたいみたいな無茶苦茶言っているのもやっぱり他者がないからで、自国の立場以外は無いに等しいし、内部的にも統制が取れる必要があるので分裂的な態度は排除することになるよな。
「近代の超克」座談会のほうは、まあ亀裂入りまくっているんだけど、その話の成立しなさのほうがぜんぜんマシだなとおもう。

彼らの考えでは(軍部も同じだけど)、思想戦という側面をもっていたが、後世から見ると、じゃあその思想戦ってプロパガンダとなにが違うのってなる。

京都学派が、近代化による専門分化を批判し、その乗り越え(=近代の超克)として新しい秩序、哲学による体系化を図るのは、まさしく「総力戦」に哲学的根拠を与えることだし、その現代的意義(当時の)を言っているんだな。総力戦の哲学的表現としての京都学派。

選挙カーは評判悪いけど、ない場合に情報を自分で拾いに行くのかっていうと怪しくて、自分はあるほうがいいかなって気がしている。

おおきなお世話すぎる
「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」p.205の画像。西谷啓治が「欧米の民族はレベルがたかいが、アジアでこのレベルにあるのは日本だけ、他の民族はレベルが低いから育てる必要がある」というような趣旨の発言をしている。

このへんは、今西錦司とかがモンゴルに民俗学的な調査にいった背景かな。「東亜共栄圏といふものも、資源のみを考へるといふことではいけないので...。民族圏といふ観念或は理論が缺けてやしないか。」
「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」p.183の画像。ブロック経済について、おおまかには経済圏という考えで成立してきたが、民族圏という観念が足りなかったと指摘されている。

中国分割を防いだのは日本だ、ロシア南下によるアジアの攪乱を防いだのも日本だ、なのに中国は日本を帝国主義だと誤解している、日本の立場をわからせなければならない、みたいなことを、当時のエリートたちが堂々と話している。

1943年の京都学派の座談会です。近代の超克座談会なんかよりこっちのほうがやばい。

「世界史的立場と日本」を読んでいるけど、中国にわからせることが必要みたいなことばかりいっててやばい。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1041203/1/1

読了。
羽生さん、まじでいろいろ勉強しててすごい。さらっと「ミンスキーという人がいて」みたいなこと言いだして、そこ読んでるんかってなる。あと、あとがきで攻殻機動隊についてちょっと触れてたけど、押井守の名は出さないのに士郎正宗の名は出してて、あっ原作厨なんだってなった。
個人的に知りたかったこととしては、やっぱり人工知能/コンピュータと人間とがどういう関係を結ぶのかという問題で、将棋界は人工知能/コンピュータとの共生関係を結んで発達したんじゃないかなという印象だったので読んだのだけど、そこらへんが深く理解できるというわけではなかった。羽生さんはまだやはりコンピュータが棋界に入りこんでくるより若干前の世代で、トレーニング自体もコンピュータ以前の能力をベースにしているし、もう1、2世代下るんだろうな。

時々、「コンピュータと将棋を指すのは楽しい行為なのか」と聞かれることあありますが、「人と将棋を指すよりもつまらない」というのが、私だけでない、一般的な回答になると思います。

現在の電王戦のルールでは、対戦するソフトが貸し出されます。すると、対戦相手の棋士は、そのソフトを対局の日まで休まず動かし続けて分析をして、そのプログラムが選びそうな手を確率的に予想しそれぞれの分岐の局面での対策を立てていきます。乱数が入っているので完全な予想は不可能です。しかし、対局は一局なので後は当日のめぐり合わせです。確率の高い局面を引けるかは運次第になります。これが現在の将棋ソフトと対戦する場合の対策なのです。この作業は、もはや「将棋を指す」と言うより、「プログラムの特徴やバグを限られた時間とリソースのなかで見つけていく勝負」とでも言うべきものでしょう。

ちなみに、電王戦に出場したとある棋士が、「電気代がすごくかかって大変だった」と言っているのを聞いて、気の毒に思いました。

実は、将棋のルールを覚えたての人同士の棋譜を認識するのはすごく大変なのです。セオリー通りに指されておらず、言ってみれば形がめちゃくちゃなので、正しく評価したり、認識したりすることが難しく、なかなか記憶に残りません。
将棋は他のボードゲームと同様に、「図形の認識能力」が必要なゲームです。駒の配置はそれぞれ個性を持った「図形」になっているので、その形の善し悪しをきちんと理解できることが、強さと結びついてきます。
その一方で、プロの秩序だった棋譜はとても覚えやすいです。「秩序がある」ということは、さらに言えば、いわゆる基本の形に近いことだと思います。基本の形に近ければ近いほど、人間は認識しやすいように出来ています。(…)
なぜ基本の形に近いものが記憶に残りやすいのでしょうか。その理由は、棋士がどうも大きなかたまりを把握することで、駒の配置を単純化して、盤面を記憶しているからだと思います。

イ・セドルがAlphaGoに負けたの、ついこの前だという気がしていたけど、もう7年も前のことなのか...
https://ja.wikipedia.org/wiki/AlphaGo%E5%AF%BE%E6%9D%8E%E4%B8%96%E3%83%89%E3%83%AB

AIで将棋も囲碁も死ぬどころかますます盛況になった一方、画像生成系AIでgenerative art界隈がどうなるのかちょっと心配ではある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88

羽生善治「人工知能の核心」を読んでいるけど、このひとやっぱりめっちゃすごいな。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4140885114

蒼き狼論争のようなものがあった理由がようやくわかってきた

»