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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

どういうこと?温マさんそろそろ死ぬってこと??

グリーンバーグの「コラージュ」あたりを起点に、タンジブルUIについての言語化をしてみるとどうなるのか検討してみるのは意味があるのかもしれない?

タンジブルUIが「ただの情報ではなくて日常のなかに実在する物たちとおなじような存在であることを目指す」と言われると、どうしても、イリュージョンで成り立っているとおもわれていた絵画に、実際のモノが貼りつけられたことで成立したリアリティ(コラージュ)についてのあれこれの言論を思いだしてしまう
https://social.vivaldi.net/@pokarim/110043140748387139

タンジブルUI、浅い理解だけど実際に触ることができる、ただの情報ではなくて日常のなかに実在する物たちとおなじような存在であることを目指すUIだと思う

マリオはなぜクリボーとぶつかったら死んでしまうのか、ブロックから何故キノコがでてくるのか、キノコを食べるとマリオが大きくなるのはなんのメタファーなのか、ユーザーはそういうことは何もわからなくても、マリオを操作して世界内の意味を発見することができる

なにかしらの動作→結果みたいなパターンが形成されることが重要で、なぜそうなるかとか、それは何かとか、現実に似ているかとか、だいたい関係ない

まえ野沢くんが言ってた話で、マリオのブロックなんて別に現実にあんな空中に浮いたブロックがあるはずもないが、ステージの最初のほうでクリボーがきて、それをジャンプで避けるタイミングでうまいことブロックに頭が当たるようにデザインされている。ジャンプでぶつかったらブロックがボコッてなる、というパターンがEnactiveに形成されればよい。

容易なコピペというのは現実世界だとありえないようなことだけど、それでUIが使いづらくなるとか非直感的になるということはぜんぜんない。それはなぜなんだろうか?

そこから逆に考えると、ソフトウェアのUIが映し出す世界のなかでは現実では起きないようなことがふつうに起きる。たとえばコピペしていくらでも複製できるとか。

というか公開範囲による可視性の制御、複雑性高くてよくなさそう

LTLという概念が複雑性を生み出しているだけなのでは...

90年代(ゼロ年代だっけ?)のグループウェア研究関連の知見が、理論化されていた(かつ実践されてもいた)にも関わらず、なぜかごっそり連続性を失っている気がする。

Deploy or dieみたいな標語に問題あるんかもしれんけど...

HCIが未来のコンピューティングを志向するかぎりはそれはそうかもしれないけど...
しかし、石井先生の研究とかもともとグループウェアの研究から発展しているわけで、そことタンジブルビットとのあいだに理論的な飛躍があるとみるのは良くないとおもっているけど、あんまり言語化されていない領域な気はするなぁ

これは、HCIまわりの研究と現在のコンピューティング環境を前提としたソフトウェアやハードウェア関係のデザインとのあいだに、言語的な壁がある、と言い換えてもいいのかもしれない

タンジブルUIとか、あきらかに現状のUXとかHCDとかの語彙で語れないし、語るべきでもない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B9

UXではない言葉が必要という話、おもえばHCIという領域があるのに、HCIがアカデミックで実験的みたいな見え方するようになってしまった、というのもあるよなー
https://social.vivaldi.net/@pokarim/110038549365997585

あしたフルマラソンなんだけどほんとに走れるんか...

小学校で「間違えるな」「間違えたら恥ずかしい目にあわす」「間違えたら罰が課せられる」。こんなことばかり教えてるからか、必死で知ってるフリする、知らないこと隠す子ども続出。「知らない」は学習のスタートなのに、そこからできるだけ離れようとしてしまう。

Lightsail より EC2 のリザーブドインスタンスのほうが安いな

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