なんかハイデガーが、「タイプライターは、手の、つまり語の本質的領域から、文字を奪う」と言っているらしく、手書きこそ本来的な「文字を書く」という行為だみたいなこと言っているらしいのだけど、どれで言っているんだ、かなり気になる
問われるべきは、手や指先が「感じる」かどうかである。チェリストが指で弦を押さえるときに、ピアニストが指で鍵盤を押さえて叩くときに、それを感じずにはいられない。このとき、技術的に効果的な身体動作とそれにともなう音は、途切れることなく連続している。それではフォークリフトの運転者は、持ちあげた荷の重みを感じているのだろうか。(略)タイピストは、タイプしている文字の形の違いを感じているのか。いずれも答えがノーならば、指先の触覚は、それがいかに繊細で的確であろうと感覚をもっていない。指先は、ボタンや鍵盤といった「インターフェース」をとおして、機械と相互作用する。だが、指先の動作は、物質の動きやそれにともなって生じる痕跡と呼応(コレスポンド)していない。指は「突き棒」でしかなく、指がインターフェースに接触するのは「的中すること」である。目と目を合わせるアイコンタクトのように、的中することがつくる関係性は、触覚的とういより視覚的であり、感覚的というより合理的である。
『メイキング』pp.257-258 ティム・インゴルド