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なんかハイデガーが、「タイプライターは、手の、つまり語の本質的領域から、文字を奪う」と言っているらしく、手書きこそ本来的な「文字を書く」という行為だみたいなこと言っているらしいのだけど、どれで言っているんだ、かなり気になる

ハイデッガー全集54にあるらしい

問われるべきは、手や指先が「感じる」かどうかである。チェリストが指で弦を押さえるときに、ピアニストが指で鍵盤を押さえて叩くときに、それを感じずにはいられない。このとき、技術的に効果的な身体動作とそれにともなう音は、途切れることなく連続している。それではフォークリフトの運転者は、持ちあげた荷の重みを感じているのだろうか。(略)タイピストは、タイプしている文字の形の違いを感じているのか。いずれも答えがノーならば、指先の触覚は、それがいかに繊細で的確であろうと感覚をもっていない。指先は、ボタンや鍵盤といった「インターフェース」をとおして、機械と相互作用する。だが、指先の動作は、物質の動きやそれにともなって生じる痕跡と呼応(コレスポンド)していない。指は「突き棒」でしかなく、指がインターフェースに接触するのは「的中すること」である。目と目を合わせるアイコンタクトのように、的中することがつくる関係性は、触覚的とういより視覚的であり、感覚的というより合理的である。

『メイキング』pp.257-258 ティム・インゴルド

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インゴルドもずいぶんコンピュータテクノロジーに敵対的なこと言うけど、「ブログ作成用のソフトウェアを自作する」とかもけっこう手仕事感あるんだよなぁ。

「感覚」って身体的なものだと捉えがちな気がするし、実際インゴルドはそう言っちゃっているんだけど、ものづくりにおける「感覚」って、手許でコントロールできるという確信と相関するものなんじゃないかな。制作プロセスに自己が疎外されていると、それを使うときには「感覚」があまり生じない、とか。自分用に作っているブログ作成ツールも、「書きごこち」みたいな感覚は自分なりに気にする。それって表面的な身体動作やインタラクションに現れてこない。