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日本画・洋画・浮世絵の関係まじでめんどくさいな。日本画も洋画も、初期の主導者たち(横山大観、菱田春草、黒田清輝とか)が浮世絵が海外で評価されていることを知っていても受容しなかったのは、人類学的な眼差しにおいて「日本」と見做されることを拒否するためであったはずで、つまり「土産物ではない」ことを主張しなければならなかった。黒田清輝とかはラファエル・コランのもとで浮世絵の整理とかやらされていたのに、たぶんマジで価値があると思っていなかった。黒田が印象派を受容しそこねたのもそれが原因。

日本国内で、浮世絵コンプレックスとでも呼べるものがあらわれるのはたぶん明治30年代をつうじてで、それは洋画や日本画が台頭し浮世絵が没落した時期であった。明治20年代まではおおむね棲み分けがあった。それで、明治40年頃になると創作版画の観念があらわれ、版画の美術的性格が受け入れられるようになる。ただこれはもう新しい美術観念のなかで再編成されたものだ。
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