2024.11.1 - 12.1 の柿落し展、郷正助『秘密の花園』のインスタレーションビューです。
https://www.instagram.com/p/DEXYG52vr4U/
Webページにもアップしています。
https://space-nobi.net/exhibition/the_secret_garden
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キャプションはかなり微妙だった。個人史にとらわれすぎというか、初期にはシュルレアリスムだったり(初期のジャコメッティとかめちゃくちゃ参照してそう)、その後にはフェミニズム系アートの流れにも目配せがあるので、同時代の美術のフォーマットはかなり意識していると思うけど、解説が個人史的な視点で書かれすぎてまるで社会から孤立した表現であるかのような書き方だった。
解説の書き方だと個人的な悩みやトラウマと作品における表現が対応するかのように書いちゃってたけど、そうじゃなくて制作はトラウマを増幅する行為だし、それによって記憶がほぼフィクションとまでなっているのだから、制作は個人的なトラウマを客観的なものにする行為であってそれを表現するものではない。
解説の書き方だと個人的な悩みやトラウマと作品における表現が対応するかのように書いちゃってたけど、そうじゃなくて制作はトラウマを増幅する行為だし、それによって記憶がほぼフィクションとまでなっているのだから、制作は個人的なトラウマを客観的なものにする行為であってそれを表現するものではない。
この箇所の記述を見て、なんか醒めてしまった。自分で住んでいる場所を拠点化していくんじゃなくて、人から紹介される「ロケーションに恵まれた場所」を拠点にしたいって、なんだそれどこでもいいってことじゃん。自分が住んでいる場所とか「どこでもいい場所」と見なされたくないよ。
https://congrant.com/project/bankart1929/14403
BankARTへの支援、わかるんだけど、「寄付金とあわせて皆様にお願いしたいこと」の「(4) 本格的な活動拠点となるような空間とロケーションに恵まれた場所」がかなり引っかかるんだよな。
場所ってふつう選べないというか、その選べなさみたいなものが重要なんだとおもうんだけど、この書き方って、ある意味BankARTはどこにあってもいいと言っているように見えてしまう。任意の場所に移転することができるっていうことは、場所の固有性ははじめから問題になっていない。「ロケーションに恵まれた場所」ってなんだよっていう気持ちになる。
BankARTへの支援、わかるんだけど、「寄付金とあわせて皆様にお願いしたいこと」の「(4) 本格的な活動拠点となるような空間とロケーションに恵まれた場所」がかなり引っかかるんだよな。
場所ってふつう選べないというか、その選べなさみたいなものが重要なんだとおもうんだけど、この書き方って、ある意味BankARTはどこにあってもいいと言っているように見えてしまう。任意の場所に移転することができるっていうことは、場所の固有性ははじめから問題になっていない。「ロケーションに恵まれた場所」ってなんだよっていう気持ちになる。
@seki_takanao 瓦そばいいよ
まだいまのところで2回しか展示していないけど、立場が変わってみて「あーそうか」とおもったのは、アーティストの力量というものが、作品を作るだけでなくて、展示を成立させる能力がかなり問われているんだなということだった。「作品の批評」というのがいかなる幻想のうえに立っているのかよくわかった。
その辺は私にとってはマノヴィッチの作品論が愚直に唯物論的過ぎてあんまり素直に受け取れないというのの言い換えでもあるけど。単にバックヤードツアーは作品の分析に役立つ材料を提供してはくれるけど作品の受容の分析にはあんま役立たんよね、という話かもしれない。
https://scrapbox.io/glisp/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B これは実はあんまりピンと来なくて、大抵の人からすれば作品の裏側で動いているソフトウェアの事もそれを生み出す人的ネットワークも両方バックヤードの出来事であって、ここまでが作品「そのもの」を決める領土争いにしかならず、あんまり意義を感じないかなあ