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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

グラフィックソフトの使いかたわからねぇ

Netflixからパレスチナ映画の大半が消えたとのこと。元々ネトフリ不買を続けていたので私は今更ですが、パレスチナが地球上から消されていくようでとても恐ろしいです。
https://theintercept.com/2024/10/25/netflix-palestinian-stories-israel-movies/?utm_source=twitter&utm_campaign=theintercept&utm_medium=social

おもしろかった
https://tomasp.net/blog/2022/timeless-way/
ソフトウェアと建築のアナロジーって、ソフトウェア業界が architecture という語を輸入したように、ある意味で固定的なものなんだけど(architecture は形式と言ってもいい)、アレグザンダーの語彙では building なんだよな。建てること。architecture/building という対は architecture/programming という対とアナロジーで考えてよさそう。

絵具と支持体の接着/遊離みたいなことについて言語化している美術批評ってなんかあるかな
コラージュとかシュポール/シュルファス関連とかありそうな気はするけど

アレグザンダーの「時を超えた建設の道」の普遍主義ってそういえばチョムスキーの普遍文法みたいな考えと近そうだな

https://garden.matsuuratomoya.com/The-Timeless-Way-of-Programming---Tomas-Petricek と、この辺の記事を読んでいておもった

「傘がない」は氷の世界ではなかった...

「傘がない」で「君」が実はいない説めっちゃウケるなっておもったけど、アルバム「氷の世界」の冒頭が「あかずの踏切」の次のような歌詞を読むと、あながちギャグではない

> 踏切りのむこうに恋人が居る/あたたかいごはんのにおいがする/ふきこぼれてもいいけど/食事の時間はのばしてほしい/ここはあかずの踏切り
https://www.uta-net.com/song/6910/

陽水は、恋人があたたかいごはんを作る世界からは「あかずの踏切り」によって切断されている。恋人はもう想像上にしかいないわけで、「傘がない」で「君」がいなくてもおかしくない。あたたかさ/冷たさもアルバムの世界観として対比しているとすれば、「傘がない」で「君」へ至る道が「つめたい雨」によって遮断されていて、到達できないものとして描かれているという解釈もネタ的解釈といえない気がする。

そもそも君もいない

家にいる説、説得的だ
家にいることがメディアがフィクションを語る条件だし、メディアへの懐疑から家から出たいという欲求をもっているけど、傘がなくて家に閉じこめられることによって、いまだに新聞を読んでしまっている

氷の世界も家に縛りつけられているくせに「寒い」という感覚について話しているから同じ構造なんだな

傘があったら出かけてたかも

傘がないの主人公

メディアに構築されるリアリティみたいな補助線ひくと、風景論とか同時代だったりするなとおもった

早くいけよ!

あんなに行かなくちゃって連呼してるんだからまだ行ってないんでしょ

空っぽさが、「雨に濡れる」ことと「君の事」だけで埋まる(充足する)ということが重要なんだけど、べつにその充足にもなんの意味もない

「傘がない」も、「君」に会うことが大事なのではなくて、「君に会うために雨に濡れる」ということのほうが重要で、そこにリアリティの欠如を埋めてくれるものがあると信じている。だけどじつは「君に会う」ことにも「雨に濡れる」ことにも、対比的に良いことがあるとおもうだけで(「それは良いことだろう?」)、信念はない。

「氷の世界」もいいですよね
「窓の外」に演劇的なリンゴ売りがいて、メディアを媒介した「外」の世界にリアリティを感じられない。
https://www.uta-net.com/song/1898/

「傘がない」の社会より眼前の雨のほうを気にしているという解釈、筑紫哲也がそういうこと言ってた気がするとおもって調べたらあった
https://www.tapthepop.net/era/78913

>「あの曲は“足払いの歌”なんです。天下国家を鹿爪らしくいう世の風潮に対する足払いなんです。」

>「天下国家に降りかかる様々な問題をもっともらしく論ずる風潮に向かって、同じ“天下”でも陽水の歌は、天から下りてくる雨の方が問題なのだと“足払い”をかけているんです。僕はそんな表現法にとても共感を覚え、感心しました。」

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