吉野家が化粧品事業に参入 飲食事業で使用するダチョウのオイルから商品開発 - WWDJAPAN
https://www.wwdjapan.com/articles/1897728
ストローマン(英: straw man)は、議論において、相手の考え・意見を歪めて引用し、その歪められた主張に対してさらに反論するという間違っている論法のこと、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
神宮外苑の問題が藁人形論法であるかどうかの評価は関心ないためここではしませんが、この神宮外苑の問題と星野記事についての私の主張を関連づける行為を、藁人形だと呼んでいます。この二つの事象には表面的類似性しかなく、これを関連づけるあなたの行為は「藁人形を構成する人がいる」というまさに擬似的対象を構成して、その藁人形を批判する行為です。
文学の言葉を「究極の個人語」と書いているけど、星野氏の文章じたい半ば以上クリシェで構築されている以上間に受けようという気にはあんまりならない。クリシェを利用しつつそれを裏返していくような方法で書いているようにも見えない。小説では違うのかもしれないけど(未読)、このためだけに読もうかという気にはならないなぁ...。
私は今回の星野の記事、愚劣だから内容にコメントするのも嫌だったんだけど、「小説という形かそれに準ずる言語でないと、言葉を出すことをやましく感じるようになっている」というように、実際に「お前マジョリティだろ」とマイノリティから突き上げを食らったかどうかとは別に、突き上げを食らったような気分になって「疾しい」気分になっていた、というのがポイントで、
そこから「作家の言葉」に退避してるわけだが、その「作家の言葉」の言説空間こそを吟味しろや、と思ったかな。SNS消費vs作家の言葉 の図式がすでに臭い。
居場所と小説執筆が対比されているが、人が居場所をつくることに逆らう、それが作家の言葉っていうイデオロギーだと思う。そんなくっきり分かれるわけねえだろ、と疑わしい。でもSNSのクリエイター気分の人、こんなのにころっとやられる。私はこの種の「自律性を求めた人間が作家神話の再生産をやってミメーシスしまくる」ことの方に問題性を感じている
クリエイターって「自分が奪われたくない!」かつ「自分はすぐにキャパオーバーしてハングアップするんだ!」が多い。その結果、驚くほど似たような擬制に足を取られる
https://chng.it/sSBQz8HwZh
その昔、水道橋、三崎町界隈は底辺エロ出版社の聖地で。社名も「桃園書房」というまさにそこ、という版元さんが出していたのが
『月刊へら』
よくこれだけで月刊誌出せてたなあ、と当時びっくりした。
「釣り」でもなく「へら」?たしかに人気の釣りだったらしいけど、それだけで雑誌にできるんだ、と。
https://kabumatome.doorblog.jp/archives/66023627.html
10年前にニューマン売ったとき、あれは美術館運営費用にでもするのかとおもっていたけど、一事業でしかないなら別に通常事業に補填していいわけで(美術館事業は経営上の独立がない)、そのままにしていたってことは、「いつでも売れるようにしておきたい」という事情以外考えづらいんだよな。当時から事情はわかっていたわけだから、財団法人化は当然議論されたうえでやらないという選択肢が取られたはずだとおもう。コレクションの経済的価値がわかったうえで、経営上の一種の保険としているんじゃないか。経営陣はたぶん美術に興味がない。事業の一部なのに、社外取締役にも専門家がいない、ほぼ非専門家で組織された価値共創なんたらという組織で今後の美術館運営について検討するというのは、美術に興味がないことの現れ。
ムカつくなら批判すればいいけど藁人形でしょ。星野記事自体が藁人形化してんじゃんってのはそうだし、自分も記事間違ってるとおもうけど、言ってもないことで批判してるのさすがにおかしいとおもうよ。