これは途中から有料会員しか読めないのだけど無料部分だけでも結構な分量があって面白い。みんながAIという言葉を巡って違う話をしているということがよくわかる。
MIT Tech Review: 「人工知能」とは何か? https://www.technologyreview.jp/s/341147/what-is-ai/
こういう資料解釈の枠組みの問題もなんだけど、もうひとつは、一次資料の信頼性の検討とかもコンピュータにできそうな気がしない。「ある絵が贋作かどうかを検討する」というのも一次資料の信頼性の問題で、人間もかなり間違うんだけど、これはマジで勘の領域だとおもう。「文献上はこの人が描いたという資料が見つからないけど、この絵は本人のものだとおもう」みたいなのはかなりあるはずで、これを否定する合理的な理由がなければ受け入れるかな。でもこの判断規準はかなり曖昧だとおもう。
インターネット上の「事実」(言い方が難しいんだけど)について、一時期真面目に考えてたことがあるけど、それはまさに「データの出所と信頼性を把握することが欠かせない」のだけど、その検証は原理的に可能なのだろうか?みたいなことを考えていたからだった。
https://www.technologyreview.jp/s/342345/ai-trained-on-ai-garbage-spits-out-ai-garbage/
“ネイチャー(Nature)誌に発表された新たな研究によると、AI生成のデータを使ってAIモデルを訓練すると、モデルの出力の品質は徐々に劣化するという。後続のモデル群が生成した出力データが将来のモデルの訓練に使われるようになると、その影響は悪化の一途をたどる。”
これは別にAIに限らず人間にも起こってる。つまり、ググれば答えにありつけるという態度で学習し続けた結果のツイッタランドであり、そういう環境で育った学者、知識人による書物がそうだ。
次の世代がネットに依存するのは劣化につながると判断して書物に回帰したとしても書物が既に汚染されている。
書物は先行する書物に対する解釈を含むから、ある時代の書物をパスして学習しようとしても汚染された書物の影響を排除するのは不可能だ。
MIT Tech Review: 生成AIのデジタル劣化問題、ゴミがゴミを生み出す最悪の未来 https://www.technologyreview.jp/s/342345/ai-trained-on-ai-garbage-spits-out-ai-garbage/
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2024/07/post-105020.php
〈続き〉
これは(競技)スポーツに支配的な自然/不自然な身体のあり方を決定しているのが誰なのか、そうした規制はなぜ(特に途上国の)女子選手にばかり(チャンド、セメンヤ)かかるのか(疑われた"選手は、性器の形状や毛の生え方まで検査されている)という点で、言わずもがな「女性」の範囲を決定しようとする権力に対するジェンダー、フェミニズムのテーマである。トランス排除の理論に利用している場合ではない。
喜んでヘラヘラやっているうちに、味方のはずの誰かがくるりと振り向いて「そういえば君も関節がでかいね」「腕に血管が浮いてるね」「なんだか骨盤が狭い気がする」と問い始めるのは自明ではないか。そのときになって「何言ってんの、そういう女だっているよ」と言い始めても遅いのである。
ローリングが焚き付けて日本の悪質なアカウントも追随している、パリ五輪の「トランス女性選手」叩きが止まらない.....が、今回の五輪にトランス女性の選手は参加していない(https://www.thenation.com/article/society/trans-athletes-paris-olympics/?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR0txjI83L7yX9vIKFX6RTWPtntsf-BvKIgQwIPmMjyE1aryeW5iJ3TFAJo_aem_yPIxSnCzi9THKE60NFXQ7g)。
たかだかテストステロン値が過去に引っかかっただけの女子選手が、世界中から「男だ」と糾弾されているのは凄まじい光景だ。そもそもなぜ、赤血球が多くて疲れにくいマンティランタは「ラッキーな遺伝的体質」なのに、身長2m超えのバスケ選手はアンフェアとは言われないのに、同じ「自然」な体質の女子選手は「逆ドーピング」をしてまでT値を下げろと求められるのか。〈続く〉
https://www.tokyo-np.co.jp/article/187560
https://amzn.asia/d/0ij22XWQ
教育勅語を教育に使おうとする松井市長ならではというべきか。表現する自立した市民より、お上に従順な臣民を求める意識が垣間見えます。多くの方のご賛同をお願いします。
西洋の芸術体系のなかにあるもろもろの観念的な体系を相対化するはじめての体験がジャポニスムだったんだろうな。彼らは日本を理解しようとしたけど、それはほとんど創作に近い「日本」を構築することだったようにおもう。