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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

9月ジャーナリズムってなんだとおもったら「8月ジャーナリズム」という揶揄があるのか

「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です」はまじでそうだとおもうけど、内にこもって自国中心史観に疑問をなくすと出口ない

「すでに近年、『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝などでカードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、日本を強く牽制(けんせい)しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の歴史利用に対峙(たいじ)できません」

 「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能なのか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」

(交論)戦争認識、抜け落ちたもの 宇田川幸大さん、佐藤卓己さん:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S15994928.html

「安倍談話では、日露戦争が植民地支配下の多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた、とする一方、朝鮮の植民地化については具体的に述べていません。日本の近代化を自画自賛する、極めて甘い認識です」

 「また、子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない、という部分も問題です。謝罪の要否を決めるのは被害者です。また、戦争を再び起こさないようにする『戦後責任』は直接、戦争に関わっていない世代にもあります」

 「ただ、安倍談話は、今の国民の意識の縮図だとも言えます。当時の世論調査では、次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせないという主張を支持する意見が多数を占めました」

https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S15994928.html?iref=mor_articlelink01

「これは、2015年7月の端島(軍艦島)を含む「明治日本の産業革命遺産」23カ所の世界遺産登録のときとは違いが大きい。佐藤地ユネスコ日本大使(当時)は「1940年代に一部の施設で多くの朝鮮人とその他の国民が『本人の意思に反して(against their will)』動員され、過酷な条件のもと『強制的に労働(forced to work)』させられた」と公式に認めた後、「全体の歴史」を理解できる施設を作ると明言したことがある。「本人の意思に反して」「強制的に労働」など朝鮮人労働者に対する動員の過程と労働環境の強制性を明確にしたのだ。しかし今回は、強制性は最初から言及さえされず、苛酷な労働についても「すべての労働者」と表現するなど、日本人と植民地の朝鮮人がともに苦痛を受けたと“水増し”した」

https://japan.hani.co.kr/arti/international/50718.html

オーナー自らメディアのポリシーを違反するあたり致命的に SNS が向いてないと思うんだけど、こんなことしながら一方で広告収益上げろとプレッシャーくらってるヤッカリーノ CEO はいまどんな顔してるんだろうか tony_neutral

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2407/29/news086.html

奈良県知事の収蔵品廃棄発言と、その背景にある本当に考えなければならないこと(美術手帖)
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/29303

民具の特性をきちんと解説しつつ、一方で、「民具により現代的な意味を見出すためには、それを使った展示や活動に柔軟な発想を導入することが求められる」、と現在の少なからぬ博物館における民具の扱いについて釘も刺している感じ。
色々新しい取組みも始まっている、ということが分かるという点でもありがたい。

当時の日本のエリートにとって、西洋文化には西洋固有の特質がある(東洋には東洋の固有性がある)という思い込みがつよくあって、文化がハイブリッドに形成されるという観念はほぼなかったんだろう。柳の民藝を見る眼にもそれはある。

白樺派の柳宗悦がのちに民衆芸術運動としての民藝に向かったのはアーツアンドクラフツ運動の影響だけど、この流れは歪みがあってちょっとおもしろいな。柳がエリーティズムから脱することはたぶんなかったけど。

印象派から後期印象派にかけて、大衆芸術としての浮世絵を媒介にして反アカデミズムの流れが形成されていたのに、それが日本に紹介されるときには白樺派の個人主義・精神主義的傾向を通じて紹介されたので浮世絵の影響はまったく排除されてしまった、というのはそりゃそうか。当時の国内での浮世絵状況は白樺派みたいなエリート集団に好まれるものではなかった。

日本の美術史って、それを組織しようとした当初から「海外の眼」で見られた自己像が意識されているから、内在的な発展史として記述しづらい形になってしまっているんだな。

芳年とセザンヌが同い年か

本のハイライトは漱石の自然主義との関わりにおける評価(政治的抵抗の根拠になりうるものとしての個人の内面)が一つ、もう一つは大逆事件だと思う。戦中の検閲というか弾圧、「なんとなくすごそう」くらいに思ってたのが、「やばすぎる」という感想になった。

風俗壊乱ようやく読み終わったけど、めちゃおもろかったな

ロックリー・トーマスがさんざんな誹謗中傷にあってるのを見ても、デマの拡散力が数年前と比べても桁外れに強くなっていて恐怖だ。訴訟しようにも有象無象すぎて対応するのにかなりパワーが必要になるので、法人とか金持ちとかならともかく、そうでもなければ対応のしようがない。
デマ発信源となるプラットフォーム側に法的責任を負わせるとかの話になると権力による検閲が容易になりそうだしなぁ。

これわかりやすいな。「単純否定」以下はぜんぶ無視すればいいとおもっているけど、反論って根拠提示されないと意味ないんだよな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0#%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%8F%8D%E8%AB%96%E3%81%AE%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%BC

ほーん

> グレアムの反論のヒエラルキー
> 議論を7つのヒエラルキーに分類することで、読者は不誠実な議論を見抜きやすくなり、雄弁な話し手であるデマゴーグが単に強い言葉で相手を打ち負かしている印象を与えていることを見破る助けになると述べた。

ポール・グレアム - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0#%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%8F%8D%E8%AB%96%E3%81%AE%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%BC

「日本に奴隷はいなかった」説もどうかと思う。薩摩藩の支配下に入った奄美大島には「家人(やんちゅ)」という債務奴隷がいた。結婚には口出ししなかったようだが、ほとんどの家人は家族ぐるみで家人になるので、結婚の自由があったわけでもない。居宅も労働の種類も主人が決めるし、移動(逃亡)は厳禁だ。
家人同士の子供は「膝(ひざ)」と呼ばれた。債務を返して勝手人(自由人)になることもできない身分で、由緒人の取引に使われることもあったというから、これはどんな見方をしても奴隷というしかない。
1603年から明治維新の後まで、奄美大島にはそんな奴隷制度があった。

もっとも「日本に奴隷はいなかった」説をとる人たちにとって奄美大島は日本ではないのだろうけど、これと似たような小作農はあちこちにあったんじゃないのかな?

仏Ubisoftとアサシンクリードの「真実」──欧州ゲーム産業から『シャドウズ』問題まで|Jini | ゲームゼミ
https://note.com/j1n1/n/n90faef5ebf78?sub_rt=share_pb
めも

住宅ローンの変動金利もついに上がりそうらしいけど、そもそも変動金利がこれだけ低いのって、銀行に金余りの状態で借り手を探しているから競争で金利下げていたわけで、資金需要(購買意欲)のほうが足りていないんだとおもうんだけど、にもかかわらずマンション価格が上がりつづけていたのって矛盾のように感じる。説明の要素があきらかに足りていない。

アニメとかゲームとかで外国人が日本の間違った歴史を学ぶといけないから、海外の人たちにはちゃんとニンジャスレイヤーを読んでもらおう

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