9月ジャーナリズムってなんだとおもったら「8月ジャーナリズム」という揶揄があるのか
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です」はまじでそうだとおもうけど、内にこもって自国中心史観に疑問をなくすと出口ない
「すでに近年、『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝などでカードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、日本を強く牽制(けんせい)しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の歴史利用に対峙(たいじ)できません」
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能なのか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」
(交論)戦争認識、抜け落ちたもの 宇田川幸大さん、佐藤卓己さん:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S15994928.html
「安倍談話では、日露戦争が植民地支配下の多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた、とする一方、朝鮮の植民地化については具体的に述べていません。日本の近代化を自画自賛する、極めて甘い認識です」
「また、子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない、という部分も問題です。謝罪の要否を決めるのは被害者です。また、戦争を再び起こさないようにする『戦後責任』は直接、戦争に関わっていない世代にもあります」
「ただ、安倍談話は、今の国民の意識の縮図だとも言えます。当時の世論調査では、次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせないという主張を支持する意見が多数を占めました」
https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S15994928.html?iref=mor_articlelink01
「これは、2015年7月の端島(軍艦島)を含む「明治日本の産業革命遺産」23カ所の世界遺産登録のときとは違いが大きい。佐藤地ユネスコ日本大使(当時)は「1940年代に一部の施設で多くの朝鮮人とその他の国民が『本人の意思に反して(against their will)』動員され、過酷な条件のもと『強制的に労働(forced to work)』させられた」と公式に認めた後、「全体の歴史」を理解できる施設を作ると明言したことがある。「本人の意思に反して」「強制的に労働」など朝鮮人労働者に対する動員の過程と労働環境の強制性を明確にしたのだ。しかし今回は、強制性は最初から言及さえされず、苛酷な労働についても「すべての労働者」と表現するなど、日本人と植民地の朝鮮人がともに苦痛を受けたと“水増し”した」
オーナー自らメディアのポリシーを違反するあたり致命的に SNS が向いてないと思うんだけど、こんなことしながら一方で広告収益上げろとプレッシャーくらってるヤッカリーノ CEO はいまどんな顔してるんだろうか
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2407/29/news086.html
奈良県知事の収蔵品廃棄発言と、その背景にある本当に考えなければならないこと(美術手帖)
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/29303
民具の特性をきちんと解説しつつ、一方で、「民具により現代的な意味を見出すためには、それを使った展示や活動に柔軟な発想を導入することが求められる」、と現在の少なからぬ博物館における民具の扱いについて釘も刺している感じ。
色々新しい取組みも始まっている、ということが分かるという点でもありがたい。
デマ発信源となるプラットフォーム側に法的責任を負わせるとかの話になると権力による検閲が容易になりそうだしなぁ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0#%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%8F%8D%E8%AB%96%E3%81%AE%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%BC
ほーん
> グレアムの反論のヒエラルキー
> 議論を7つのヒエラルキーに分類することで、読者は不誠実な議論を見抜きやすくなり、雄弁な話し手であるデマゴーグが単に強い言葉で相手を打ち負かしている印象を与えていることを見破る助けになると述べた。
ポール・グレアム - Wikipedia
「日本に奴隷はいなかった」説もどうかと思う。薩摩藩の支配下に入った奄美大島には「家人(やんちゅ)」という債務奴隷がいた。結婚には口出ししなかったようだが、ほとんどの家人は家族ぐるみで家人になるので、結婚の自由があったわけでもない。居宅も労働の種類も主人が決めるし、移動(逃亡)は厳禁だ。
家人同士の子供は「膝(ひざ)」と呼ばれた。債務を返して勝手人(自由人)になることもできない身分で、由緒人の取引に使われることもあったというから、これはどんな見方をしても奴隷というしかない。
1603年から明治維新の後まで、奄美大島にはそんな奴隷制度があった。
もっとも「日本に奴隷はいなかった」説をとる人たちにとって奄美大島は日本ではないのだろうけど、これと似たような小作農はあちこちにあったんじゃないのかな?
仏Ubisoftとアサシンクリードの「真実」──欧州ゲーム産業から『シャドウズ』問題まで|Jini | ゲームゼミ
https://note.com/j1n1/n/n90faef5ebf78?sub_rt=share_pb
めも