https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%94%E9%8A%80%E8%A1%8C
戦前の貧富の差についての記事を読んでいる。
財閥解体の際、財閥家族として指定された人は56名でした。彼らが差配する財閥本社が所有していた株式数はおよそ1億6700万株でしたが、これは当時の国内の総株式のほぼ40%に相当しました。
「わずか数十人で日本の発行済株式の40%を握る」。これが戦前の財閥の富の蓄積の到達点だったわけです。
このサイトまじですごいので絶対全員ブックマークしたほうがいい
Olive Journal | 市民がつくるパレスチナ情報サイト
https://olivejournal.studio.site/
小説家の牧野修さんも同種の意見を書かれていた!
“(前略)というわけで私はお札の肖像には和犬を推す。とりあえず柴犬・秋田犬・甲斐犬を次期候補として挙げておこう。”
https://x.com/makinoma/status/1808389914742214668
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』の対外事業・韓国の箇所の目次。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?16
渋沢栄一が頭取を務めた第一銀行が、金融面で米国との主導権争いを展開してたりしてた様子が目次からもうかがえる。
他にも鉄道事業など、旧植民地の中では、朝鮮半島での関与が大きい印象。
まあ、これは韓国から反発されるか…
「『蓮舫さんの演説に多くの人が集まっている』などと言っている人は、蓮舫さんが負けたらどんな顔をしてTwitterをやっていくのか」という趣旨のことをツイートしている人がいたんですが、そういう人にとって落選する候補者を応援したり勝てるかもしれないと思ったり投票したりするのは「誤答」なんでしょうね。
「我々は正しい。なぜなら、多数派だからだ」と考えれば必然的に「少数派は誤っている。少数派であるのがその証拠だ」と考えることになるし、少数派につくのは愚かな判断だということになります。
「権力に擦り寄るのが好きな奴の気持ちは永遠にわからない。」というトゥートを見て、ふと思ったのだが、私はなろう作品を山ほど読んで「気持ち」の推定はできるようになったなあ。
権力に近づいてる側の心理は、「地道にやってたら偉い人が自分を認めてくれた、承認してくれた、そして庇護くれた」とか
「王族からなんかめんどい仕事押し付けられたけど(辺境の領主とか荒れ果てた土地の開拓とかがよくある)、ま〜、そのかわりに、王族の権威とやらを『使ってやる』よ」とかですね。
権力に近づいたのではなく、勝手に向こうからやってきた、と調整してるのがポイント。自分の意思によらない、という操作なんだよな。
なろう作品の最大のガンは、「権威」がアイテムのごとく気軽に使われることで、作中の「権威筋によるお墨付き」で守られる展開などを含む。そして、治安の悪い世界であることがその自衛策を正当化させる。もう一つの「主従関係のフェチ」の強さと合わさって、権威と主従で保守反動化の道が敷かれやすくなる。
ポルノメディア近接性と身分制の威光がセットになってる点がなかなか解体されない。
確認
https://toot.blue/@renho Fediverseには(まだ)遊説に来ていない。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/337526
渋沢栄一の新紙幣起用は、植民地主義を意地でも批判したくない、なんなら嫌がらせで嫌韓行為をやりたい政財界の思惑に沿ったものだから、Mrs. GREEN APPLEの問題行動よりよっぽど悪なので、新紙幣案ごと破棄されればいいのに。