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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

ヤマハがOBSとスポンサー契約!?
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1603044.html

都知事選を契機に検証する、小池都政の文化政策(美術手帖)
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/29134

太下義之氏による採点。
裏返しで、石原都政の文化政策が、アーツカウンシル東京の設立、オリンピックの誘致を軸に評価されている。

SNS により、卑劣なことをやっても良いんだと思えてしまっている人が多く発生しているような気がする…。悪巧みの同調圧力、悪さを咎めず、促進させるコミュニティネットが無い時代ならば、よっぽとでないとつるまなかった 不良グループ、犯罪集団が SNSでイージーかつライトに 繋げられてしまう。まさしく道具は使いよう。良いことも、悪いことにもネットは促進させる。

@ttt_cellule 雑誌の全国配布とかが取次のおもな存在意義で、そこに送料を圧縮する形で出版物が乗る形だったのが、雑誌がもう将来性ゼロなので取次もやっぱり存在意義が問われる。だからといって、出版や書物に価値がなくなるわけではなく、コンテンツに価値があって確実にニーズがあるものを出していけば、適切な発行部数を維持する限り、ビジネスとして成り立つサイズがたぶんあるのですよね。
今後は新書とかは怪しくなっていくかもしれませんが...。

ラムダノートさん、「著者による直接販売」(=同人)ではなく、ふつうに出版社なんだけど、べつに取次なしで直販している。これがビジネスとして成立するのであれば、やっぱり出版産業には取次が不要だろという話で、「軽出版」という概念はもっと展開してよさそう。
https://bsky.app/profile/golden-lucky.net/post/3kvogbyuywh2m

伊丹万作の戦争責任の問題は、普通じゃなくても日本人すべて100回くらい音読しとくべきものだと思うのだけれど、ビックリするぐらい読んだことある人が少ないのだよなー。

超短いのに。
青空文庫で無料で読めるのに。

なんで?
ゾンビだから?

戦争責任者の問題
https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

検索しといてやったぞ。
嫁。

ノルシュテインはまあそうかという気がする、初期に国策っぽい作品つくってなかったっけ?
https://digital.asahi.com/articles/ASS6P13PVS6PUCVL02RM.html?ptoken=01J142HVFDTTWZ031RYBTYN1DB

"東京のMorc阿佐ケ谷で14日から公開中の長編ドキュメンタリー「ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る」の中で、ロシアアニメの巨匠ノルシュテインさんはこう語っています。「話の話」を、「霧の中のハリネズミ」を作った人が! 全く信じられないことです" https://digital.asahi.com/articles/ASS6P13PVS6PUCVL02RM.html?ptoken=01J142HVFDTTWZ031RYBTYN1DB

かわんごが夏野のアカウント乗っ取りについてNewsPicks報道のせいにしているの謎理論すぎる

目黒区美術館で2009年にやってた「文化資源としての炭鉱展 ヤマの美術・写真・グラフィック・映画」を見ていないんだけど、図録が高いが読みたい。

これ一朝一夕にいかないな

うーん、炭鉱労働調べたほうがいいか...

イスラエルが行ったネット世論工作の実態。

ここにあるもののように、外よりも内側に対して行われるもの方が警戒すべきだし、フェイクニュースや生成AIみたいな派手な物より心理学や経済学の研究結果を応用した地味なものほど警戒すべき。特に経済学はそのまま施策になるのでタチが悪い

https://note.com/ichi_twnovel/n/nce36e7d938fc

グリーンバーグの重要性は、メディウムスペシフィシティとかフォーマリズムではなくて、当時のアメリカ美術の状況において、ただのモノとしか見えないものと美術の区別がつかなくなったことに対して、「美術と美術ではないものの区別はどのように可能になるか」を問うことができた唯一の人(たぶん)だったからである。グリーンバーグがダダの問題から出発しているからそういう問いになるんだとおもうけど、そこに「メディウムの固有性」とかいうフィクションを作りだしてしまったのは間違いだってフリードにも批判されている。
フリードはこの問いをより洗練させて、モノがモノではない状態を達成するための諸条件を検討することになり、これが近代芸術の真の特性だとするんだけど、それは秩序が成立する条件とはなにかという問いだと言いなおしてもいいとおもう。
この問いがアメリカ60〜70年代の美術状況において成立するのはわかるが、2000年代の日本の美術の状況で考えるのはやはりズレているようにはおもっており(つまり自分の感性はまるごとズレていたんだけど)、問いを変換したり洗練したりしないといけないという気はする。

おもしろそう、暇になったら読も

現代思想2015年1月号買った形跡があるけどなんの記憶もないということは読んでいない

ちょっと変な読み方すれば、芸術が芸術である状態を達成すること(あきらかにモノではない状態になること)とは、モノの相互作用によって秩序を生成する創発でもあるようにおもわれる。創発は、オブジェクト指向を提案したアラン・ケイがおそらく意識していたものとおもわれ(後付けかもしれないが)、モノがモノである状態というのは秩序を欠いた状態である。
これはフリードの視野に入っていなかった概念だとおもうけど、フリードの思考は創発特性についての記述であるとも振り返ることができるとあとから思っている。彼がカロの作品を賞賛するのは、その特性が鉄鋼だの台座だのといったモノのなかに内在するものではなく、それらの相互作用によって成立する秩序があるからだ。その秩序こそ、カロの配置するモノをモノではなくするものである。フリードはそれを「言語」だと言おうとしたけど、それはやっぱり創発という文脈で言われる秩序と近いとおもう。

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