具体論ないとわかりづらいだろうけど、書物にかんするソフトウェアをつくるとして、「本」というオブジェクトを定義するとしても、「本」という概念を内在的に定義することはできない。作られるソフトウェアが本棚に一覧されて、レビューやメモを投稿するアプリであれば、「本」というオブジェクトが抱えるのは背表紙とかメタデータとかであって、本の内容は不要。これが読書アプリであれば本のコンテンツそのものが必要になる。いずれにせよ、「本」はそのコンテキストが与えられなければ必要な情報を定義できないから、「内在的に」定義することはできない。
こういう文脈で参照されるのは、どうやらホワイトヘッドとからしいのだけど、ホワイトヘッドをまったく読んだことがない。かわりに自分はフリードとドナルド・ジャッドの観念の対立とかがなぜか参照項になるのだった。
フリードは、モノがリテラルにそのものである状態をリテラリズムと呼んで、それは感性の堕落であり、われわれは皆リテラリストなのだと言った、それはそれなりに時代状況に裏打ちされた批評だったけど、それはいまの自分たちの状況でも繰り返してよい問題設定の立て方なのか、どうなんだろう
>わりとおれの根本的な関心は「なにが音から区別されて音楽になりうるのか/なにが日常的な言葉から区別されて詩・詞になるのか」というところで一貫していて、(...)この関心の根っこは実はグリーンバーグやフリード(芸術と客体性)を読んだことから来ていて
https://sizu.me/imdkm/posts/7wtvnwm17b8b
にっき|imdkm https://sizu.me/imdkm/posts/7wtvnwm17b8b
「この大学に通いながら、私はすでに多くのことを諦めました。本来は大学院に行きたかったけれども、金銭的な余裕がない上、これ以上現状の制度に身を任せる勇気もありません。本来学生生活では、興味のある授業を満遍なく受けたいです。しかし、収入確保のためアルバイトに多くの時間を割かなければならず、履修を諦めざるを得ないことは、しばしばあります。交換留学に行っている学生を見ると、羨ましくてたまりません。アルバイトで稼いだ給料は、趣味に使う余裕もなく、口座に貯めながら、家賃として引き落とされて消えていく。貯金の残高はみるみるうちに減っていき、生活費の残高が給料日直前は四桁ギリギリ維持しているかしていないかで、不安な気持ちになります。大好きだったサークルには、顔を出す余裕すらもうありません。それでも知り合いの前では大丈夫そうな顔をして、ゼミのコンパにはきちんと参加し、バイトと学業の合間は、周りの就活生と同じ枠で、就活で競うことになる。同じスタートラインに立てていないことは、当たり前なこととして受け入れてしまいました」
「大学の自治」の定義は、歴史や国によって大きく変遷してきましたが、今日の東京大学における定義は、「大学の運営は、大学内部の『すべての構成員』の手によって、大学として自律的に行う」ということです。では、なぜ、大学内部の「すべての構成員」で「自律的に」大学の運営をしなければならないのでしょうか。それは、大学外の人が大学運営に参画すると、日本国憲法23条の保障する「学問の自由」が脅かされるからです。
では、大学の運営を担う「大学内部の『すべての構成員』」というと、どのような人たちが該当するのでしょうか。
昭和40年代の大学紛争以降は、学生についても固有の権利を持つ大学の不可欠の構成員として捉えることが、学説としても判例としても有力となっており、また特に東京大学においては、学生と総長とが昭和44年に結んだ「東大確認書」によって、大学の自治とは、教授会のみならず、学生によっても形成されていると解釈されています。
教養学部学生自治会の声明を支持します。
大学構内での学生による非暴力の抗議行動に対して数十人という警官を導入するという判断がされたことに、驚愕するとともに強い危機感を抱いています。
この判断を正当化できる根拠と経緯があるなら、大学側は早急にそれを明確にすべきだと思います。
https://drive.google.com/file/d/1jECFb4M0HCgSymfCT49yr7A8ndlav3A3/view
いま自分が読んでる『つながる沖縄近現代史』では、ペリー来航(アヘン戦争に前後する東アジア国際関係の変革期)が起点になってる。琉球王国が「表」の対清関係—「裏」の対日関係(幕藩体制)という二つの支配体制の中でバランスを取っていたこと。アヘン戦争後、欧米のアジア人に対する蔑視や優越感が生じるもとで、琉球王国に対するイメージが好意的なものから野蛮で不潔といったものに大きく変化していったこと。1854年のボード事件などで、女性の被害者が不可視化されたことなどが記述されている。