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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

Coca Cola社が、イ支援企業としてボイコット対象となっていたバングラデシュで出した広告すげーな。 バングラデシュでは、BDSの対象となったため売上が23%も落ち、挽回するためにCMを制作。CMの内容は、コカコーラとイスラエルが関係あるというのはデマだと訴えるもの。怒りを買ったらしく取り下げられたらしい。

この広告では、蒸し暑い日に店員が常連客にコカ・コーラを飲まないかと尋ねている。その客は「あの国」の飲み物だから飲むのをやめたと言うが、イスラエルの名前は出さない。
店主は情報源を探す旅に出るが、その情報源は信用できないフェイスブックのページだった。
彼は地元の人々に、コカ・コーラは “あそこから来た “ものではなく、トルコやスペインを含む190カ国で138年間飲み続けられてきたものだと説明する。

(引用箇所は機械翻訳)

https://www.independent.co.uk/asia/south-asia/coca-cola-ad-bangladesh-israel-gaza-war-b2562593.html

「植民地主義的表象を避ける」ことが、どれだけコカコーラ社にとって都合いいことなのかわかってるのだろうか。人文系博士が企業に雇われて可能になるのは、政治的メッセージを打ち消すということだけで、クリエイターと一緒に反企業権力な制作をしようとは絶対にならない。

企業は人文系博士雇ったほうがいいとかの話も、こういう悪質な構造への批判的言及もせずに企業権力の構造に取り込まれようというだらしない話で、なにが人文系博士だよ権力の強化するだけだろ

植民地主義的な表象どころか文字通りの植民地主義やっとるやろが
まえの西洋美術館の抗議の話と同じで、メディアは企業を名指し批判しない、なぜなら連中は訴えてくるからだ、それでアーティストだけ批判の矢面に立たされる。アーティストはいいように鉄砲玉にされているだけ。

コカ・コーラ社はパレスチナの入植地で工場経営しているくせに差別を許容しません、とかふざけんな
日本のメディアもそういう批判書けよって思う

コカ・コーラのほうが叩かれてほしい。アーティストが無知でも知的でもどうでもいい。

正直、五百年前の人物であるコロンブスのmvが大炎上するなら、イスラエルの現在進行形の行いはさらに炎上すべきだろうと思ってしまって、あんなに炎上する基準や理由がよく分からないんだよな。
何か炎上するラインが歪に出来上がっていて、そのラインを超えてしまったら誰でも好きなだけ叩いて構わない、というようになっている気がする。

こういうの見ると、人類学がもともと植民地支配の知識体系であったことを想起してしまう。

なんでガチで違法入植地で工場経営しているところはこういうダイバーシティみたいなのはシッカリしているんだろうか
https://www.coca-cola.com/jp/ja/social/diversity-and-inclusion

E. H. カーの「歴史とは何か」をいつ読んだのかは思いだせないけど、ああいうメタ歴史学みたいなのは高校くらいでやってもいい気はする。高校生くらいで読める内容だとおもうし。

個別事例を掘り下げて学習してみるというのはすごく学びがあるとおもうんだけど、そういうのは大学以降なのかなぁ。小中高でそういうのをやった覚えはあまりない。

もう一つ言うと、教養っていうのは「学ぶ能力」の他に「世界観」でもあるわけです。

たとえば、今、日本で教育を受けた(専門家でない)多くの人は、「武士の台頭」を「武装した開拓農民が貴族や大寺院の統治に逆らって自治を獲得しようとした」というストーリーで説明しますよね。それが教養。

で、「実際には武士は武芸に秀でた公家だし、荘園などにも農民だけでなくいろいろな人がいたし、人は割と頻繁に移住してた」っていう新しいストーリーを知ったとしたら、それも教養。

更に「歴史のストーリーって大きく変わることがあるんだ」「ストーリーはどんな研究をもとにできているのか知らないとダメなんだ」っていう知識を身に付けるのも教養。

教養がなぜ大事なのかというと、教養がないとその空白にトンデモが入り込むんですよ…。

歴史って通史的に語るとすべてが「必然的」であったかのように見えるから、ヨーロッパに帝国主義時代があり、それにともない日本も帝国主義をやっていた、みたいな流れで理解していくから、「必然的」であり「仕方なかった」ことであると理解しちゃう枠組みだとおもうんですよね。

世界史ってそもそも通史で学ぶ必要あるんかな...。通史で学んじゃうせいで他人事に見えちゃうのあるとおもう。現在の国際的関係のなかで、歴史的パースペクティブをもつことの意義を教えるほうがいいのでは?とか思うんだけど、どうなんだろう。

手許に1995年第1刷、99年第7刷の「詳説世界史研究」があり、コロンブスの箇所を読んだけど、「新大陸」の発見が中心で、奴隷貿易とかは書いていない。そのちょっとあとにコルテスやピサロらコンキスタドレスが残虐な仕方で中南米を征服したという記述がある。植民地主義の問題としては、スペインがアリストテレスを借りて原住民を野蛮として扱い、支配の正当化をしていた一方、ラス=カサスによる暴力の告発、モンテーニュによる「文明/野蛮」イデオロギーの批判などが紹介されている。

これは、たぶん浪人中に買ったものだけど(最初は一般大の浪人をしていたのです)、この記述は、自分の習った記憶がある知識とほぼ一致している。現在の高校生くらいに向けた教科書がどんな記述になっているかはわからないが、たぶん当時の教科書的なものの記述レベルはこうだとおもう。ポストコロニアルな見解ははっきり弱いとおもう。

教育の話をするけれども、「コロンブスを偉人視しない世界史」っていうのは、要するに西洋中心の歴史観を180度転換するということで、「習ったかどうか覚えていない」というようなことではありえないと思う。

@polidog まさかの導入事例だ

@hidetakasuzuki 岸本清子、なんじゃこりゃっていうけっこう多様な活動をした人らしいんだけど、檻を破る感じとかめっちゃいいよね。
https://www.outermosterm.com/aichi-prefectural-museum-of-art-kishimotosayako2019/

[ID:275] ホワイトマウンテンゴリラ : 作品情報 | コレクション | 金沢21世紀美術館
https://jmapps.ne.jp/kanazawa21/det.html?data_id=275

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