「米国だけでなくパレスチナへのユダヤ人入植や北海道開拓といった「入植」の問題は、セトラー・コロニアリズム(入植者植民地主義)と呼ばれ、歴史的問題でありかつ現代の問題としてさかんに議論されている。人種差別を批判するブラック・ライブズ・マター(BLM)運動などの米国の最新動向を把握しているはずの音楽会社やスポンサー企業によるチェック機能が働かなかった点も問題だろう」
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ミセスMVに識者「悪意なくても差別」 透ける「名誉白人」の意識:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/articles/ASS6F33XGS6FUCVL01RM.html?ptoken=01J0AKYT62RTHFH346QQWK6FR3
https://meshwork.jp
ある情報を発信する人とそれを受け取る他者が完全に非対称な受け取り方をするという可能性は、知識の問題はあるけど、どちらかというと「植民地主義」とかのフレームの有無で、自分の社会的ポジションを自覚する必要がある(社会的強者である、植民する側であることなど)、という話だとおもう。社会的強者がそれを理解できないのは知識の問題ではあるから知識は必要だけど、この手の話は知識を利用可能な情報と見做していて、そこに齟齬があるようには見える。教養もこういう利用可能な情報だとみなされている。
https://x.com/fladdict/status/1801261003520577684
いわて銀河100kmウルトラマラソン完走(4回目)、そして100kmマラソン10回完走について: https://note.com/kkd/n/n5571a1249907
これは月岡芳年の「芳年武者无類」(明治16年と19年)のうち2図、左は加藤清正と論語を読む猿の図、右は源為朝が鬼島(たぶん伊豆諸島のどこか)を征服する図。
加藤清正は明治の10〜20年代にかけてよく描かれたモチーフで、清正は朝鮮出兵でかなり恐れられた武将だった。その清正が論語を読む猿に感心する。
源為朝の図も似た表象の仕方で、伊豆諸島で「鬼」の住む島を征服するけど、鬼は衣服もままならず知能も低そうに描かれている。
当時の日本のアジアへの野心を読みとることがあきらかに可能だけど、この手の明治浮世絵の意味を読む論考はたぶんない気がする。

そう思うのが普通だけどこの国は普通じゃないから(だからこうなってる)
『あとは、やっぱり一番大事なのは、唐木さんも指摘している、「なぜか日本人が白人に同化してしまえる問題」だと思います。それってつまり、大日本帝国がやってきたことをすっかり忘れてしまっているから可能であり、同時にすっかり忘れてしまうために白人入植者を無邪気に演じているんだと思います。なのでこれは「アメリカでアップデートされている知識に追いついてないことが問題」なのではなくて、「日本人がちゃんと後始末をしなかったかつての帝国主義が、他者のイメージを利用するときに露呈した問題」なんだと思います』
https://x.com/kohkiwatabe/status/1801161076144570665
文化生産における「創造性」概念をめぐって : ロマン主義的創造性イデオロギーの機能 (特集 文化とコミュニティの現代社会学)
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/81011071/
@_yonatsu このへんのメタ分析でおもろいのはブルデュー系の芸術社会学(音楽関連もある)かなあ。この論文なんかがざっと読みやすかったですよ。
この論文読んで、ジェイソン・トインビー『ポピュラー音楽をつくる ミュージシャン・創造性・制度』おもろそうやん、と思ったまま積んでますが・・