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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

先行論文、事実調査はそれなりにしているのに解釈が間違いまくっていて、「なんでここまで調べてこういう理解になるわけ?」みたいなのになる

明治後期から大正にかけての浮世絵系統の画家、三越での展示即売会とかがけっこう重要で、画家が描く元禄風の着物を三越がリバイバルする流れもあったし、画家自身がファッションアイコンとして機能している面がある。女性画家が重宝された理由の一端はこれで説明できそう。

1930年代生まれの美術評論家が戦後に書いた文章読んでたけど無内容すぎてびっくりする

明治大正期の資料探っていると、やっぱりこの時期が博覧会の季節で、というのも交通の発達と中央集権国家の確立を機に物資を一箇所に集めて展覧しよう、それで各地で品質なり新規製品開発なりの刺激としようというのが背景にある。

「長崎で見たときはなんでもなかった踏絵が私の心にかかりだしたのは、東京へ帰ってきてからだった。(中略)

あの黒い足指の痕を残した人びとはどういう人だったのか―――と誰もが考えるように、私も考えた。自分の信ずるものを自分の足で踏んだとき、いったい彼らはどういう心情だったのだろう。」

「踏絵に足をかけていった人びとの話は、私にとってけっして遠い話ではなかった。むしろ切実な問題だった。〈信仰〉などと言うと縁遠い話になるのなら、〈自分の生き方や思想・信念を暴力によって歪められざるをえなかった人間の気持〉と考えてみればどうだろう。誰にでも痛いほどに分かる問題のはずだった。
踏絵の足指の痕は、他人事ではない。」

遠藤周作『沈黙の声』

いまで言うピンクウォッシュ的な戦略ですね。

「茶道が昔から女性教育において果たしてきた役割は、決して些細なものではない」って茶道が女性の教養となるのは明治以降なのだが(この引用した評はたぶんイギリスでの評)。そう誤解されるような展示を意図的にしていた可能性はあるけど。

「日本では女性に参政権はないが、国の歴史全体を通して、女性は国政に大きな影響を及ぼしていたからである。極めて素晴らしい日本の和歌のいくつかは、女性によって書かれており、現在の皇后は、歌人としてその能力が広く認められている。」.

さらに「美術工芸については、レース編み、金細工、銀細工、刺しゅう、ならびに錦織の絶妙な見本が展示されていた。日本の女性が使っている楽器の展示や、生け花の実演もあった。また、有名な茶道についても、何らかの展示があった。茶道が昔から女性教育において果たしてきた役割は、決して些細なものではない。欧州の女性が喜んでいたのは、繊細な優美さを備え、実用的でも芸術的でもある化粧道具や、日本の女性が作った、重厚な刺しゅうのある立派な現代的衣装、ならびに、日本女性が散文や詩の分野で成し遂げられるものを示した写真展示とコレクションであった。」「婦人出品」のセクションは、日本の女性の地位が、欧米で思われているように決して低くなく、工芸、芸術、文学の分野において素晴らしい才能を発揮していことを英国人に示す効果があった。

1910年(明43)の日英博覧会は植民地主義国家としての文明をアピールする会だったのだけど、人間動物園みたいなことやっていると同時に、「婦人出品」にかなり力を入れていたようである。
当時の政府にとって「文明国」である条件として、たくさんの植民地をもっていることと、女性が活躍している(ように見える)ことは重要だったようだ。
https://aska-r.repo.nii.ac.jp/records/5763

岡田索雲「ある人」読んだ。つげ義春『ねじ式』オマージュでトランスジェンダー問題を表現してるんだけど凄いわねー

https://comic-action.com/episode/2550689798459234971#

おもしろい

>「もふもふ動画」はただの無断転載アカウントではない?その正体に迫る<前編> | おたくま経済新聞
https://otakei.otakuma.net/archives/2024042604.html

トマソンだ

影と高所ドアがいいんですよ

たとえば、清方の「ためさるる日」(大正7年)とか馬鹿らしいとおもっていたんだけど、これとか「なるほど」となったやつ。
これは島原遊廓における踏み絵がモチーフだけど、左隻の花魁(太夫)の厭そうな顔と、右隻のもはや醒めきった顔が描かれている。文字通りにはそれでいいんだけど、そもそも、ここで目指されているのは、そういった歴史画的なものだったり描かれる花魁(太夫)の心理描写だったりではなく(いやそれはあるんだけど)、「花魁」という浮世絵表象をいかに解体するかなのだ。こんな不安な表情をした花魁が浮世絵で描かれることはありえなかった。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/25269

もうすこし文脈を補足する。
清方の「ためさるる日」は大正7年だけど、大正3年に東京大正博覧会がおこなわれている。このとき、博覧会の便乗企画として吉原で花魁道中の復興がおこなわれる。ここで花魁道中をやらされた花魁の白縫が翌年人権侵害を訴えて自主廃業している。娼婦と蔑まれながら、たんなる好奇の眼にさらされる「再現された花魁道中」が苦痛でなかったはずはない。
大正になって、すでに終わってしまった花魁道中を復元しようとすることは、博覧会に来るであろう外国人観光客にむけてのジャポニズム的な文脈もあるわけだけど、江戸期浮世絵の表象をニッポンだとして生身の身体を抑圧することが大正期の雰囲気としてあったと言える。

そういう前提を置いて、「ためさるる日」を見ると、「浮世絵」というイメージそのものを攪乱することが清方の目標になっていると理解される。花魁の白縫が花魁道中を強制されたのは、江戸期浮世絵表象にまつわるセルフオリエンタリズムに起因するが、清方の絵は「浮世絵」というイメージそのものを揺さぶろうとしている。清方がセルフオリエンタリズムを批判したとか言いたいわけではない、そんなパースペクティブが彼にあったはずがない。そうではなく、浮世絵というイメージの固定性が問題だったのだ。

たぶん清方の絵がこのような解釈をされた試しはないはずで、それは大吉原展のキュレーションを見ればわかる。

大正期日本画に眼が馴れてきて、画家たちがどういうことを試みているのか、ようやく理解できるようになってきたな。いままで馬鹿馬鹿しいとおもってきたようなものも、あらためて見ると、ほうなるほどみたいになる。

AI の理解が音楽家のほうに流れてしまいがちだけどなんとかそれらしいキャッチコピーにしてもらえた。

「四季を感じるタブ管理」って良いな! vivaldi_red
しかも今日リリースされた Vivaldi の最新バージョンに自動メモリ開放機能が搭載されたこのタイミングで「冬眠中のタブもスムーズに」って、なんてタイムリーなキャッチコピー tony_smiling

『Vivaldiブラウザ道』という本をつくりました! https://60th.gendai-shinsho.jp/maker/books/roa9vAJWlgvo1uPEL0i6Q

メモ #あとでよむ
池田蕉園(榊原蕉園)の資料一覧 - Togetter
https://togetter.com/li/2275030

井原西鶴『好色五人女』読んでる

@emim 20代前半とかは、けっこう画面オフ+ミュートがデフォルトな人が多いなとおもっていました

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