https://www.youtube.com/watch?v=VfsqedlOfxw
それがいまでは逆転して、宮崎駿のほうが自由恋愛にもとづく「家族」という物語の不穏さを描きだし(風立ちぬ、君たちはどう生きるかなど)、庵野秀明のほうが予定調和を描いてしまうのは、制度に対する批判的な視点の有無かなとおもっていました。庵野秀明は、「家族」というオブセッションをまさにオブセッションとして、個人の内面に起因する思い込みとして消化してしまうのに対して、宮崎駿は「家族」は「制度」だと見做すように物語設定をシフトさせてきたのではないかとおもおいます。
というようなことを『君たちはどう生きるか』を見終わったときに考えていました。
https://blog.tenjuu.net/2023/09/07/%E5%90%9B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B
庵野秀明が、家族を個人に起因するオブセッションだとして処理してしまうのは、権力関係を不問に付すことでもあり、事実上は長子(シンジ=神児)への権力の付与という構図をもちながら、主人公を弱者男性に偽装するというややこしさがありますね。
マイナンバーがダメなのは、官公庁での情報利用が事実上非公開なのと、個人による情報の管理・修正の機能がないことだと思う。
僕は、あのシステム全体を拒否したい気持ちはあるけど、それは今の社会制度を全般に覆すことで、政治的ファンタジーとして構想すべきことだと思う。
「家族」は国家のグランドデザインの一部として作られているのはあきらかだとおもうけど(むしろ主要な存在かもしれない)、実生活上はあたかも実体として存在するものであるかのように扱われる(法的な実体なんだけど)。
ばあちゃんが「家族はええ」とか「家族だからみんな助けあわなければいけん」とか、そういうことをずっと言っている。祖母が家族という幻想のなかにいて、なんとなくみんなその夢を壊さないように振る舞うんだけど、「ばあちゃん、それは国家によって作りだされた幻想だよ」なんて言う気にはもちろんなれない。
そういうのをもやもや思いながら読んだ。
@zpitschi @ChouIsamu
はい「戸籍は諸外国には存在しない」というのは、よくある俗説でして、間違いです。
戸籍は「身分登録」(status registration、または civil registration)というジャンルに属するものなのですが、身分登録のシステムを持たない国家は、僕の知る限り、ありません。
ただ、そのシステムがコンピューター化されていたり、個人単位であったりする国もあるというだけです。
そこまで行っていない国もまだまだ多くて、たとえばドイツでは家族単位の「家族登録簿」というのを使っていますし、フランスは紙ベースでやってるはずです。
ちなみに、日本で外国として一番身近なアメリカは、このジャンルでは異端的な存在でして、全国単位の身分登録システムを持たないことで有名です(州ごとに分かれている)。このあたりが「外国には戸籍はない」という俗説の起源になっているのではないか、という気がします…
グレーバー、良すぎやろ。
「人間の最も強力な社会的紐帯が生物学的親族関係に基礎をおくと仮定する進化モデルには、明々白々なる難点がある。要するに、家族があまり好きでない人間は、この世に多数存在するということだ。そしてこれが現代の狩猟採集民にもあてはまるようなのである。彼らの多数が、近親者のなかで一生をすごすことを嫌がり、近親者から逃れるために非常に長い距離を移動するのだから」(『万物の黎明』p.319)