なぜ新しいフレームワークをはじめるんですか!!?LaravelとかCakePHPとかSlimで解決できない問題があるんですか!ahiru を使うとこれらのフレームワークを使うのより何が嬉しいんですか?
https://github.com/polidog/ahiru/issues/4
Wikipedia にもおもいっきり書いてあるな。
知識表現、オブジェクト指向プログラミング、オブジェクト指向設計では、is-aとは、あるクラスBはもう一つのクラスAのサブクラスである(また、AはBのスーパークラスである)という関係である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Is-a
知識表現はたぶん70年代だけど、その時期のパラダイムがめっちゃ残ってしまってるんだな
たしかに…
これは世界中で誤って使われているが、 is-a 関係という言い方で汎化関係を指すのは言語学的にヘンです。
- インスタンス/クラス関係が is-a のはずだが今となってはさらに誤解を生んでしまう
- サブクラス/スーパークラス関係は ako(a-kind-of) 関係
まだパレスチナで起こってることについてあまり関心をもてずにいるフォロワーもいると思うんだ。でも3/30はパレスチナの人々にとってとても重い日だから、まずこの記事を読むとこからはじめてほしい。ぜひ読んでくれ~
1からまなべる! イスラエル・パレスチナ紛争の理由と歴史
https://kids.gakken.co.jp/kagaku/nandemo/israel-palestineguide202402/
制御機構というのは、民主主義社会における情報配布のシステムについて、情報の健全性がどう担保されうるかということを、法的問題もふくめて考慮すべきものだとおもうけど、そういうのは制度設計の問題で、「根本的な問題を直視して考えていくこと」によってもたらされるようなものではない。
こういう選択的なもの言いにもかなり問題を感じる。
たとえばツイッターでリベラルな人たちがマイノリティの権利について語り、差別問題についてアテンションを集めたところで、実際に問題が改善されるとは限りません。
「差別問題についてのアテンションをSNSであつめる」という事例を述べ、「ツイッターで差別言説を垂れ流しにする」は取り上げない。それは放置して問題ないのだろうか。それとも、「ネット上で人々がなにに関心を持ったりどんな意見を言ったりするかということと、現実の社会や経済で起こっている問題は、イコールではありません。」というくらいだから、ネット上での誹謗中傷は「現実」ではないのだろうか。すでにSNSでの誹謗中傷によって自殺などが起きている以上、現実を反映した見方ではないとおもうけど。
https://www.ben54.jp/news/983
自分が最近こういう形のソーシャルメディアもあるんだとおもったのがインスタグラムのストーリーズで、24hで投稿が消え、その投稿にたいするコミュニケーションは公開リプライではなくDMでおこなう。これはもちろん炎上しづらい仕組みとして採用しているんだろうし、オンラインコミュニケーションのとりかたが世代でだいぶ異なっていることも感じる。
記事中で「プラットフォームに一定数以上の人が集まったら、仕様に関係なく、荒れるのは仕方がないと思います。」とあるけど、まさにそれを問題として別な解を求めるアプローチを各所で試みているわけなので、「一つのプラットフォームに人が集まる」ことの内面化、それへの無批判的な享受(「荒れるのは仕方ない」)のほうが気になってしまう。
「ソーシャルメディア上での対立は自然に発生しているとは限らず、プラットフォームによって誘導されているという面もある」わけだけど、その「誘導」を形成している力の実態について、具体的に考えることはやはり重要だろう。どうもウェブ上ではFediverseやBlueskyが「Twitterの代わり」的なテーマで取り上げられがちで、プロトコルの問題や分散型という構造にはあまり関心が集まっていない印象がある。多くの人間にとってウェブから離脱することが現実的でない以上、ユーザー側の意識形成ももちろん重要だけど、深層レベルでのウェブ権力の仕組みについても、もっと一般層に対する理解促進が必要なのでは?
また「「ソーシャルメディアは世論や社会を反映しているわけではない」ということを一人ひとりが意識して、現実の問題に目を向けるということが大切です」というのは、まったくその通りだと思った。オフラインレベルでの現実に如何に具体的に介入していくかというのは、自分としても悩み続けている問題でもある。
またBlueskyについて考える場合も、ATProtocolの話を抜きにしてしまうとやはりマズいと思う。「平和で炎上しづらい、「燃えにくい」ソーシャルメディア」みたいなSNSの表層レベルの特徴ではなく、プロトコルのレベルでの思想・権力の在り方についてこそ考えるべきであるはず(ATProtocolにおいても、Relay運営の実態に新たな権力発生の可能性があるはずだ)。
ツイッター/Xにしても、本文中にある「ツイッターでは「引用リツイート」や「ハッシュタグ」などの仕組みによって、自分と異なる意見に触れさせられます」というシステム特徴だけでなく、それこそ運営に設定権のあるアルゴリズムによって、他人の意見=ツイートへの接触機会はデザインされている。その環境はプレーンなものではなく、ユーザーによる引用リツイートやハッシュタグ運用だけで衝突や対立可能性が生まれているわけではない。アルゴリズムレベルでの環境運営の実態自体は、やはり対象化されるべきであるはずだ。プラットフォーマーとしてのイーロン・マスクが問われるべきなのも、フェイクニュースやデマのモデレートのレベルの問題だけではないはずである。