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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

自分が子供のころ祖母の家に行っていたのは別な家で、その家はすでにない。祖母が幼いころを過ごした家は自分には直接関係がないし、母にとっても関係がなく、ロマン主義的な(?)執心にすぎないのだけど、その家を潰したら縁が切れるのではみたいな感覚だけがモヤモヤしている。あったものがなくなるということにはモヤモヤする。

自分も行ってみたけど、どうしていいかはわからなかった

親が祖母の育った家(100年もの)をどうしていいかわからないでいる。

故郷の消滅した(単に実家がなくなっただけ…)私は、ほとんど行ったことのない、唯一現存している祖母の家に勝手に望郷の妄想を押し付けているが、果たして。

でもまあ、今年は行ってみよう。祖母が歌に詠んだ季節を見てみたい。

threads やっぱり厳しいな〜とおもって見ていて、SNSの課題ってやはり多様なタイムラインを成立させることじゃないかとおもう。広告を見ていることが苦痛なのではなくて、「みんなと同じようなものを見せられている」状態が苦痛なんだなとおもった。あそこには単一のタイムラインがあるように錯覚させられる。

サーバースペックが低くてリプライとか届いていない場合があるっぽい

聞いている。途中で「日本人慰安婦問題」が無いことになっているという話でてくるけど、『この国の芸術』の嶋田美子さんの論考「なぜ私は「日本人慰安婦像になって」みなければいけなかったのか?」がわりと衝撃的だった。
https://twitter.com/erishibata/status/1760982714885497302

「売買春は買い手が悪い」論、売買という場面において男性/女性が非対称な関係に配置されることから、「男性による女性の支配」という一種の抽象的な図式からくるもののようにおもうけど、この図式には問題があるとおもうようになった。これは逆のパターンもあるから水掛け論になってしまうし、男性/女性という抽象的な主体を考えてしまうことで、具体的にはなにが問題なのかがわからなくなってしまう。売買春の原因を貧困に求めるなら、買い手をなくすことは解決になっていないはずだけど、それもぼかされている。

貧困者女性を売買する女衒や遊廓経営者、買春男性を問題化するのって、たぶん不毛な話にしかならない。たびたびおきる飢饉の際に貧困農民層が妻や娘を「売った」ことがおおきな問題としてあり、これも非倫理的だったというより、幕府の無能に起因している(幕府も飢饉への根本対策がうちだせなかったからこの人身売買を追認した)。「売買春は買い手が悪い」論には限界がある。
https://twitter.com/s108_k/status/1754925861973983679

“95年当時に40歳前後だった世代の女性たちが受けた虐待経験が、他の世代と比べて際立ってすさまじかったんです。”

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https://digital.asahi.com/articles/ASS2M6J0DS1SUTIL01V.html?ptoken=01HQFR11J3RR3KR3MGV95V09E6

「生前もあんなに不遇だったのに、死後にも狙われるゴッホかわいそう」とおもうのも、まあ美術史ストーリー消費にすぎなくて、このストーリー消費の中心でお金の生産装置になったものを攻撃してみせるとき、狙っているのは絵画なんじゃなくてこのストーリーのほうなわけで、自分としてはぜんぜん妥当というか、そんないうほど過激でもないとおもう。

ゴッホは資本主義の道具になってしまった自分の絵を狙う人たちにめちゃくちゃ共感しそうだけどな。

 イギリスだと活動家の絵画襲撃に過半数が理解を示していると言うのちょうどブレイディみかこの本読んでたらイギリスでは「他者の視点に立ってみよう」みたいな授業をするという話が出てきたのでそういう教育も関係しているのかなと思ったりした。

 この話とは関係ないけど、バンクシーの活動が本国だと黙認状態なのもバンクシーがわりとそういうことをテーマにした作品を作っていることに関係しているのかも。

 あと絵画襲撃というと眉をひそめてしまうけど、例えばモナリザが神格化されている理由は度重なる襲撃や盗難の被害によりその都度、価値が跳ね上がっているとこも大きいそうなのでアートはそれを取り巻く環境にも価値が左右されるのだ。

 しかし、イチ美術好きとしてはなにもゴッホを狙わんでもええやんかと思ってしまう。ゴーギャンと関係が破綻して耳切ったり、弟が悪気なく「兄さんの生活費も賄わないといけないからね」と口にしたら自殺してしまったり(諸説あり)そんなウルトラナイーブ男の絵なんか狙ってやるなや。狙うなら貴族が貧困にあえぐ庶民のことなんか無視して道楽で作らせていたロココ絵画にしなさい(←単なるロココ嫌い)

この記事の書き手が「でも、この演奏はホロビッツの強い意志により楽譜にはなっていない。(最近はAIによって解析された演奏不可能な楽譜が出たみたいで、見てみたけど失笑するしかなかった)」と書いているのもおもしろい。
これ、AIは音楽というオブジェクトをモデル化することはできても、それがどのような身体動作によって作られるかということまで考えていないんですよね、たぶん。今日の話ではないけど、譜面が人間の身体動作にたいして与えられる指示であるのに対して、コンピュータ上でおこなわれる「音」はすでに身体動作を伴わないから、機械は譜面を直接音に変換してしまう(音を直接譜面に変換してしまう)。それが「失笑するしかなかった」理由なんだろう。

この記事読んだときの感想

自分が聴いたくらいでは「ピアノだけど複雑な響きしているなぁ」くらいの雑な印象しかもてないけど、記事の書き手は「どうしても3本の手で演奏しているように聞こえる」と書いている。「これ演奏できなそうだな」というのが、脳内で音楽のモデルみたいなものが構築できないとかそういうことなんじゃなくて、脳内に音楽のモデルはできているんだけど、それを身体動作に変換したときにどうやっても実現できなさがあっておかしい、みたいなのが「3本の手で演奏している」という感想なんだろうなという気がする。 https://mstdn.jp/@tenjuu99/109710866382694911

そういえば今日ピアノの自動演奏が電子音楽みたいに聞こえるみたいな話聞いて、ホロヴィッツの演奏について分析した記事がおもしろかったの思い出した。

この記事の書き手は、ホロヴィッツは「どうしても3本の手で演奏しているように聞こえる」んだけど、それにはホロヴィッツの企んだトリックがあり、という記事。これ読んだとき、音楽という構造物を見るように聞くのではなく、ちゃんとした聞き手は演奏者の身体を想起して聞いているんだとおもった(自分にはそもそもホロヴィッツの演奏から「腕が三本ある!」までいかない)。機械に演奏させるとき、たぶんこの「内面化された他人の身体」のあるなしというのは、聴くという経験にとってけっこう重要なんだろうなとおもった。

https://cremona-luke.com/20220804music/

ニュースで「イスラム組織ハマス」という謎の呼び方を続けるのなら、国内でも「法華組織創価学会」とか言えばいいのに。

石の話聞きたかった

打ち上げあったらしいのついていきたかったな。友人の展示が時間ギリギリだったので抜けてしまったけど。

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