故郷の消滅した(単に実家がなくなっただけ…)私は、ほとんど行ったことのない、唯一現存している祖母の家に勝手に望郷の妄想を押し付けているが、果たして。
でもまあ、今年は行ってみよう。祖母が歌に詠んだ季節を見てみたい。
https://twitter.com/erishibata/status/1760982714885497302
https://twitter.com/s108_k/status/1754925861973983679
“95年当時に40歳前後だった世代の女性たちが受けた虐待経験が、他の世代と比べて際立ってすさまじかったんです。”
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https://digital.asahi.com/articles/ASS2M6J0DS1SUTIL01V.html?ptoken=01HQFR11J3RR3KR3MGV95V09E6
イギリスだと活動家の絵画襲撃に過半数が理解を示していると言うのちょうどブレイディみかこの本読んでたらイギリスでは「他者の視点に立ってみよう」みたいな授業をするという話が出てきたのでそういう教育も関係しているのかなと思ったりした。
この話とは関係ないけど、バンクシーの活動が本国だと黙認状態なのもバンクシーがわりとそういうことをテーマにした作品を作っていることに関係しているのかも。
あと絵画襲撃というと眉をひそめてしまうけど、例えばモナリザが神格化されている理由は度重なる襲撃や盗難の被害によりその都度、価値が跳ね上がっているとこも大きいそうなのでアートはそれを取り巻く環境にも価値が左右されるのだ。
しかし、イチ美術好きとしてはなにもゴッホを狙わんでもええやんかと思ってしまう。ゴーギャンと関係が破綻して耳切ったり、弟が悪気なく「兄さんの生活費も賄わないといけないからね」と口にしたら自殺してしまったり(諸説あり)そんなウルトラナイーブ男の絵なんか狙ってやるなや。狙うなら貴族が貧困にあえぐ庶民のことなんか無視して道楽で作らせていたロココ絵画にしなさい(←単なるロココ嫌い)
これ、AIは音楽というオブジェクトをモデル化することはできても、それがどのような身体動作によって作られるかということまで考えていないんですよね、たぶん。今日の話ではないけど、譜面が人間の身体動作にたいして与えられる指示であるのに対して、コンピュータ上でおこなわれる「音」はすでに身体動作を伴わないから、機械は譜面を直接音に変換してしまう(音を直接譜面に変換してしまう)。それが「失笑するしかなかった」理由なんだろう。
この記事読んだときの感想
自分が聴いたくらいでは「ピアノだけど複雑な響きしているなぁ」くらいの雑な印象しかもてないけど、記事の書き手は「どうしても3本の手で演奏しているように聞こえる」と書いている。「これ演奏できなそうだな」というのが、脳内で音楽のモデルみたいなものが構築できないとかそういうことなんじゃなくて、脳内に音楽のモデルはできているんだけど、それを身体動作に変換したときにどうやっても実現できなさがあっておかしい、みたいなのが「3本の手で演奏している」という感想なんだろうなという気がする。 https://mstdn.jp/@tenjuu99/109710866382694911
この記事の書き手は、ホロヴィッツは「どうしても3本の手で演奏しているように聞こえる」んだけど、それにはホロヴィッツの企んだトリックがあり、という記事。これ読んだとき、音楽という構造物を見るように聞くのではなく、ちゃんとした聞き手は演奏者の身体を想起して聞いているんだとおもった(自分にはそもそもホロヴィッツの演奏から「腕が三本ある!」までいかない)。機械に演奏させるとき、たぶんこの「内面化された他人の身体」のあるなしというのは、聴くという経験にとってけっこう重要なんだろうなとおもった。
https://cremona-luke.com/20220804music/