『〈身売り〉の日本史』も、現代の国際化した身分制度に言及していて、日本が現代においても人身売買に厳しくないということを書いていた。貧困国からほとんど奴隷化した状態で連れてこられる人をそのまま受け容れている。外国人の技能実習者問題とか、入管法問題とか、このあたりが全部つながっているのだと、すこしわかってきた。
経済格差は奴隷制度をつくりだしていて、それが江戸期の吉原などの管理売春問題であり、この問題は別な場所につけかえられただけであって、なくなっていない。売買春だけを問題視するとこの構造的問題を見失う。記事を読んで、それと類似の問題だと思った。
経済格差は奴隷制度をつくりだしていて、それが江戸期の吉原などの管理売春問題であり、この問題は別な場所につけかえられただけであって、なくなっていない。売買春だけを問題視するとこの構造的問題を見失う。記事を読んで、それと類似の問題だと思った。
さらにいえば、EUが現代奴隷制資本主義の罪、現代の「地球規模の身分制社会」ともいうべきものと向き合えていない。かなりの部分がもう動くことができず、この地域で労働し、死んでいくという人々。一方に、富を独占してタックスヘイブン(租税回避)をしている大金持ちがいるという越えられない壁が世界全体を覆っているなかで、欧州やアメリカの人々はある意味の身分制的状況にある。
「美術史かじってれば生成AIのやることなんて過去あった写真からの写実主義の衰退とほんと同じなのはすぐわかる」というの見たけど、この解像度の理解がいちばん好きじゃないんだよなぁ。「写実主義」がなにを指しているのか不明だし。「写真の登場」と「写実主義の衰退」が因果関係で結ばれるというのは問題を単純化しすぎていて、そんなことないやろっていくらでも言えてしまう。印象派は写実主義じゃないのか、とか、ジェロームという画家が印象派と同世代にいまして、とか。
発言主が「写実主義」だと思っているのは、実際にはアカデミズムのことだとおもうんだけど、フランスアカデミズムの後退と写真の登場とのあいだに因果関係があるとしたら、肖像画制作の需要の後退だろうけど、この場合でも市場の変化こそがキーになっているわけで、発言主が考えるほど単純ではない。
発言主が「写実主義」だと思っているのは、実際にはアカデミズムのことだとおもうんだけど、フランスアカデミズムの後退と写真の登場とのあいだに因果関係があるとしたら、肖像画制作の需要の後退だろうけど、この場合でも市場の変化こそがキーになっているわけで、発言主が考えるほど単純ではない。