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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

おもろそうだな〜

かような京都における知的状況を横目に見た上で、「シュルレアリスムと京都」展では上記の画家たちの戦後の仕事にもスポットライトを当てていたことにも注目すべきでしょう。北脇は既に戦前からモダンに再解釈された八卦という謎のモティーフを多く描くようになっていましたが、さらに小牧は戦中から仏画のような画風に移行し、戦後には仏教に限らない民俗学的なモティーフが頻出するようになる。これらの例は日本におけるシュルレアリスム/シュルレアリストをめぐる日本回帰の問題について考えることを見る側に迫っています──戦前のフランスにおいて画家や思想家(バタイユとか)に伍して活動していた岡本太郎(1911〜96)が、戦後は画業の一方で縄文土器を顕揚したり東北や沖縄の祭りを撮影したりしたことが、かかる日本回帰の例として俎上に乗せられるものですが、ことは岡本だけの問題ではないわけです。ばかりか北脇や小牧のかかるモティーフの変遷は、それが戦争直前〜戦中になされたこともあり、日本独自の「転向」というモーメントと合わせて岡本以上に日本におけるシュルレアリスム/シュルレアリストが内在的に抱えていた盲点をヴィヴィッドに晒しているのかもしれません。

京都という場に局限することで見えてくる問題系はなかなか厄介であり、その厄介さを絵画と資料を通してしっかりと見せていたことで、この展覧会は「シュルレアリスムと日本」展の良き補遺となっていたのでした。こちらはその「シュルレアリスムと日本」展終了後もしばらく続き、2月18日まで

京都文化博物館、「シュルレアリスムと日本」展に併せて、「シュルレアリスムと京都」展が開催されています。普段は祇園祭関係の展示が行なわれるスペースを使って、京都で主に活動した画家たちの1930〜50年代の作品や関連資料が並べられていました。

日本のシュルレアリスム受容史において画期的だった、瀧口修造らの企画による
海外超現実主義作品展が京都に巡回したのは1937年のこと(ちなみに同年には福沢一郎(1892〜1982)が『シュールレアリズム』を刊行している)。それに接した北脇昇(1901〜51)や小牧源太郎(1906〜89)、今井憲一(1907〜88)、伊藤久三郎(1906〜77)といった画家たちが遅ればせながらシュルレアリスムを吸収して画業を展開させていくわけですが、京都において特徴的なのは、彼らの周辺における知的状況のために、シュルレアリスムの運動体としての側面がさらに前面に出ていたことであると、さしあたっては言えるでしょう。京都では当時の京都帝国大学の若手を中心に自由主義者と非共産党系マルクス主義者との協働が見られていたそうですが──1937年に(そのような協働の成果とも言える)「世界文化」誌の同人たちが思想犯として大規模に摘発された事件が人民戦線事件と呼ばれたことが、京都の知的状況を逆説的かつ端的に象徴している──、そのような知的状況の急変の中で彼らが画業を展開していったことが「シュルレアリスムと日本」展における同時期の出展作以上に生々しく読み取れる作品が出ていたのでした。

山口市、法務局認定人権侵犯者を成人式に呼んでしまう。

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こういう犬笛効果を政治家が最大限利用してしまうのもめちゃくちゃ悪質

「一般車両は能登にいくのは控えて」が「能登に行くボランティアは迷惑」に変換されるのってメッセージの伝達経路でコンテキストが抜けているからで、SNSで発信することに問題があるというか、犬笛的効果をもってしまう。

SNSってやっぱり厳しいな

割れないもんなんだな。
1万6000フィート落下に耐えたiPhone、航空機窓吹き飛びの捜索に貢献 - Bloomberg
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-01-08/S6Y2OBDWX2PS00

当方の展覧会初めは京都文化博物館で開催中の「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」展。1924年にフランスでアンドレ・ブルトン(1896〜1966)が「シュルレアリスム宣言」を刊行して今年で100年になるのを機に、日本において美術家たちがいかにシュルレアリスムに向き合っていったかを、主に1920〜30年代の絵画や写真、機関誌などの各種資料によって跡づけていくというものとなっています。

「シュルレアリスムと日本」というタイトルで既に雄弁に示されているように、今回は全国各地の美術館に所蔵されている日本人洋画家や写真家、詩人、美術評論家の作品や資料だけで構成されています。しかも戦前期の日本におけるシュルレアリスムの代表作と目されている絵画がほとんど出ていない──有名どころというと、靉光《目のある風景》くらいだったでしょうか。そうすることによって、
シュルレアリスムがまず何より運動体であるということ、従ってその移入と伝播の軌跡を辿り直すこともまたシュルレアリスムであることが、いつも以上に強調されていたと言えるでしょう。展覧会に接する前はシュルレアリスム絵画入門編なのかなぁと思っていたのですが、全然そんなことはなかったblobcatthink

傷付きゆえに、「アンチ批判」となり、邁進するような反転が起きる。

ここでは、傷と暴力への怒りからエンパワメントや連帯へと至る過程が、逆手に取られてハックされているような気がする。

もはや、災害と傷の関係や範囲が、メディア経験の変容によって、大幅に変わってきているんだろうな。

別の視点でまとめると、現在のTwitterは、それ自体で、人を傷つける乱気流めいた災害性がある、ということでもある。

90年代においてトラウマやPTSDという言葉が浸透する過程に、阪神淡路大震災の死者数と瓦礫光景が与えた強烈なショックが大きいのだろうという一節をたまたま読んでいたが(岩川ありさ『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』序章)、311を経て今回の震災とSNSの関係は、被災者の傷への憂慮という域を悠々と越えて、被災していない部外者が、被災地も被災者もどうでもいいと言わんばかりに、「自分のもつ正常性イメージをトラウマ的に傷つけられた」ことを救済せよ、と叫んでいるような場面があるように思える。

傷ついた非被災者は、救済のために生贄を求めていて、その候補としてNPOやボランティア、野党議員、インフルエンサーなどを次々と召喚する。

ここでは、SNSを介してショックとその共有が、もはや被災地・被災者という局限性を掻き消し、別の補填作業がエコーチェンバーとなって覆い尽くす状況があるのだろう。傷

この手の美術史、作品については論じないからな。「悪い場所」とかが未だに影響あるのも起源は制度論だし。

制度論的な美術史って美術の見方を貧しくしてきてるな。

浮世絵は江戸の土産物だったものでもあり、「東錦絵」と呼ばれていたのは大津絵に地域的な意味があったのとおなじ。
最近ずっと水野年方という明治期の画家を調べていて、この人は最後の浮世絵師と言っていいんだけど(全然研究されていない)、浮世絵の江戸的性格を嫌い、その祖先を大和絵にもとめている。
これは年方の絵でどうみても大津絵。この絵をどう考えていいかよくわかっていなかったけど、浮世絵の江戸的性格を清算するに際して大和絵に遡り、それと同時に大津絵が視野に入ってきたというのであれば理解できる。大和絵から見たときに江戸絵と大津絵が兄弟関係になる。これは絵画の地方的性格を清算してヤマトに統合していく過程があったと見做してもよさそうな気がしてきた。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/239026

サイモン&ガーファンクルがエルコンドルパサーをカバーするとかはどうなんだろって思った

そういえばヴァナキュラーな絵画の研究をあまり知らないな。大津絵への愛好にたいしての研究とかどうなってるのか知らない。

柳を単純にオリエンタリストとして処理しちゃうんなら、自分が地方文化を語るのも同じなのではないか
中心と周縁という図式が前提になってしまうことに問題があるようにはおもうけど

いや語っていいんだけど、その視点から柳宗悦をどう考えるのかとかはすごくめんどくさい

「この国の芸術」で沖縄とかアイヌとか語って脱中心化って話してたのにええって感じたのと近そうな気がする

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