SNSの言葉、もう「誰に投げてるのかわからない」というか、誰にも投げてなくて。独り言を独り言じゃないことにする結構だけがそこにあり、それがSNSと呼ばれてるだけなのだけれど、そんなことばっかりやってるから、どんどん人を1人の信念体系や人生経験を持つ一定の層の厚さを持った存在として、想像して、その人に届くように工夫して話す、ってことがとにかくみんなでヘタクソになった。結果、いつでもどこでも成り立つ、空中に浮いた正義だけがただただ繰り返されて。そういうことをもっと問題視してもいいと思うんだけど、そうはなってないね。
ネトウヨ本が蔓延ってきたのは、反対運動が無かったからというより(反対運動が無かったわけではないし)、大手書店店長の言い出した「言論のアリーナ論」※が免罪符になってしまったところは大きいと思う。
あとは、ネトウヨ本は故安倍氏始め、自民党議員やその支持団体、支持者がまとめて買って配布して、ということをしていたので「読まれないけどある程度はけて流通する」という仕組みが出来上がっていたのもある。(なので新品が百円でブック・オフに並ぶことになる)
いずれにしても、本好きの本読みとしても、差別を無くしていきたい身としてもひどい話である。
※いわゆる両論併記みたいなもので、ネトウヨ本と対抗言説的な本も陳列するみたいな論。差別に両論併記なんて無いし、アリーナに上げて戦わせてはいけないものなのに。
詳しくは永江朗 著「私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏」を読むと良いと思います。
http://www.tarojiro.co.jp/product/5970/
『あの子もトランスジェンダーになった』の刊行中止、表現の自由と悪影響を懸念の兼ね合いというのは扱う題材についての社会での浸透度だとかレーベルや出版社が与えるお墨付きの度合いとかで個別に判断されるものであって、誰がどんな状況においてどんな思想であっても野放図に展開して良いわけないと誰もが知っているはずなのだが、どうもXでは嫌っている相手を叩けるならこの懸念の大きさを意図的に無視して焚書だの弾圧だのといったリアクションを取る連中が多く、本当に辟易する
単に出版しようとしただけじゃなく(それだけでも悪いが)右派論客にゲラまで送っといて「議論を深めていくきっかけになれば」ってのはさすがに白々しすぎるでしょう。Twitterへの投稿も明らかに差別を扇動する内容だったわけで。
本当に「当事者の方を傷つけ」たことが問題と思ってるなら、もっとしっかり説明する責任があるよ。どうせこれでキャンセルカルチャーだの何だの、差別言説が盛り上がることは目に見えてるんだから。
「本書は、ジェンダーに関する欧米での事象等を通じて国内読者で議論を深めていくきっかけになればと刊行を予定しておりましたが、タイトルやキャッチコピーの内容により結果的に当事者の方を傷つけることとなり、誠に申し訳ございません。」
https://www.kadokawa.co.jp/topics/10952/
書いた / クラスやメソッド、関数を分割するとき、その中の複雑さは減るが全体の複雑さは増える - 猫型の蓄音機は 1 分間に 45 回にゃあと鳴く
https://nekogata.hatenablog.com/entry/2023/12/05/112511
継承という考え方自体は概念を抽象→具体のヒエラルキーで表現する方法として妥当ではあるけど、問題は人間がプログラム総体としての挙動がhierarchialであることは期待しておらず、全ての処理をフラットに展開して実行するパイプラインであることを期待している点にありそう
ヤマト糊(でんぷん糊)を注文して、それとは別のタイミングで本も注文したところ、糊と本が同じダンボールに入っていて、糊のフタがぱっくり空いて中身がでろっとでている。
本は無事だったけど、裸のまま段ボールに入っていたので、本(糊まみれ)(新品)になってなかったのは運がよかった(?)としか言いようがない。