OOOあたりはまったく別文脈ででてきて、ようやく全体の文脈なんとなく把握できるようになったけど、15年くらい前の日本のアート関係では言ってみただけみたいな感じがあって、そういう雰囲気がとにかく嫌だったことだけ思いだしている。
北斎にせよ広重にせよ、彼らが描く風景はつねに人間臭さがあって、言ってしまえば人間社会の延長に自然を配していたのだけど、吉田博描く自然には北斎や広重が描いた人間くささはなく、全く街の延長ではない。人間は身体的には自然の一部であり、その身体を包むものとしての風景があり、一方で、絵を見る観客としての「私」は、その風景に包まれつつ疎外される。なぜなら私の身体はいまここにあって山にあるわけではないのだから。北斎や広重の絵にはこのような疎外感がない。
このへんはたぶん柄谷の日本近代文学の起源とかと重ねて考えることができるはずだけど、まだちゃんと読みなおせていない。
ついでにいえば、大正期に起こった吉田博らの新版画では近景の扱いが変化するのだけど、それは主観的な眼差しが誘われつつ、その風景から疎外されるようなものとして形成される。遠近法的な視覚の発達だと言えなくはないけど、問題は作図の発達にあるのではなく観念の変化にあって、自分の見解では、新版画は世界から遊離したものとしての自我の表現になっている。
ついでにいえば、大正期に起こった吉田博らの新版画では近景の扱いが変化するのだけど、それは主観的な眼差しが誘われつつ、その風景から疎外されるようなものとして形成される。遠近法的な視覚の発達だと言えなくはないけど、問題は作図の発達にあるのではなく観念の変化にあって、自分の見解では、新版画は世界から遊離したものとしての自我の表現になっている。
セカイ系、たぶん小林秀雄の私小説論に基礎を掘り下げることができる。小林の主張は、欧米の「私」は社会化されているが日本の「私」は社会化されていない、というもの。
ドストエフスキーが「欧米」かはわからないが、彼の小説にしても、ある場所で多様な人間が出会いぶつかり合うなかで「私」を配置しており、そのぶつかり合う場のことを小林が言う「社会」だと考えればいい。ドストエフスキーについていえば、そういう社会のなかで「私」の固有性は常に揺らいでいるわけだ。日本の私小説で「私」はそういう場に出会わないというのが小林の主張で、最近読みなおしてみたときに「あっそれはセカイ系じゃん」ておもったのでした。
ドストエフスキーが「欧米」かはわからないが、彼の小説にしても、ある場所で多様な人間が出会いぶつかり合うなかで「私」を配置しており、そのぶつかり合う場のことを小林が言う「社会」だと考えればいい。ドストエフスキーについていえば、そういう社会のなかで「私」の固有性は常に揺らいでいるわけだ。日本の私小説で「私」はそういう場に出会わないというのが小林の主張で、最近読みなおしてみたときに「あっそれはセカイ系じゃん」ておもったのでした。
縄文時代というのは世界史的には新石器時代になるから「縄文時代」という呼び方自体が日本固有の呼び方である、ということが『この国の芸術』に収録の「〈日本美術史〉の脱中心化」に記述がある。「浮世絵」という概念も「縄文」みたいなものではないかという気がする。「浮世絵」という言葉は元の風俗画的な意味を離れて「日本固有の」版画芸術というニュアンスを帯びすぎている。
版画史、複製芸術史、出版史とか一歩引いてみることが必要だけど、「浮世絵」研究となると暗黙の強固なフレームが存在している。「浮世絵」という概念が「版画」や「複製芸術」「出版」「メディア」といった一般概念に還元されることを拒絶してしまう。「浮世絵」という概念の固有性は「日本美術」みたいな言葉より遥かに強固な磁場をもっている。
むかしは640kBでやれてた仕事と同等のことやるのに、なんでいまは100MBオーダーで使うんだよみたいな気持ちが、ずっとある。UIなどが格段にリッチになっているので単純に比べることはおかしいとしても、コンピューティングリソースあたりの生産性を指標にとると、めちゃくちゃ退化してないかhttps://x.com/kunukunu/status/1729575356028375535
中尾佐助がまた今西グループと登山仲間で、彼の「照葉樹林文化論」は読んで字のごとく照葉樹林帯の文化圏の類似性を語ったものだけど、これつまり国家的境界を越えた文明圏について語っているわけで、中尾らの登山経験からもたらされた発想だろう。この本を宮崎駿が読んで、「日本」から解放されることになる。
一方で、自分としてはこれが大東亜共栄圏的な思考にも見える。
一方で、自分としてはこれが大東亜共栄圏的な思考にも見える。
今西錦司と梅棹忠夫の師弟は登山でも有名だけど(今西は日本山岳会の会長もやっている)、彼らの人類学的パースペクティブは大東亜共栄圏的な構想と並行関係にあるとおもう。山に登ることは彼らにナショナルな境界線を解体していく経験をもたらしたはずで、そのへんと大東亜共栄圏との関係が気になっている。
「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」ではない。それは植民地主義/帝国主義的な考え方だ。そうではなくて、知覚し、見るためだ。
山関連の文脈、いちど調べて放置しているけど、整理したい気持ちはある(気持ちはある)
ブログ記事を投稿しました: 書評:新潟県立近代美術館・国立国際美術館・東京都現代美術館 編『Viva Video! 久保田成子』(河出書房新社、2021年) https://imdkm.com/archives/2310