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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

"なぜ、音響再生産技術はまさにそれが登場した時代に登場し、他の時代には登場しなかったのか。音響再生産技術に先行していた何が、音響再生産技術を可能にし、望まれるものにし、現実的で意味あるものにしたのか。音響再生産技術が存在したのはどのような社会環境だったのか。なぜ、どのようにして、音響再生産技術はそれが引きうけたような特定の技術的で文化的な形態と機能を引きうけることになったのか。これらの問いに答えるために、我々はたんなる機械的な可能性を考慮することから、諸技術が登場した社会的で文化的な世界へと移る。"

聞こえくる過去─音響再生産の文化的起源
https://inscript.co.jp/b2/978-4-900997-58-5

「聞こえくる過去」おもしろそうだな〜

買い与えてほしい

天重さんに、「聞こえくる過去」読んでほしさが...

技術というものが更新するのは、こういう規範性なんだろう。写真はまるで自然そのもののようなものとして現れてきたが、それがつくりだしたのも「ものはこのように見えるはずである」という視覚の規範で、その規範性が理解できない文化の人には異質なものと映っていたはずだ。ある文化が写真を受け入れるというのは、写真的な表現における規範性を受け入れるということだ。

自動車の運転免許には視力の要件があり、裸眼ではなく眼鏡をかけて免許更新する人は多いとおもうけど、視覚が規範化されている典型的な例ですよね。一定の規範的な身体をベースに、社会のほうが構築されている。

発売前の本がメルカリに出てるけど買っていいのかな

技術による知覚の拡張という話、いろいろ慎重に考える必要があるようにおもわれる。たとえば、眼鏡とかを考えてみると、眼鏡は視覚を拡張するものではなくて、規範化された視覚というものがあり、社会がその規範性をベースに構築されているから、眼鏡によって適応する。つまり「新しい視覚」を獲得するために眼鏡をしているわけではなく、「あるべき視覚」にたいして現在の身体が欠如しているから、それを補うために眼鏡をする、ということになっていて、知覚の拡張どころではない。おなじような話はコンピュータにもあるはずだとおもう。

今日(というか昨日)のカルチャー活動はこれでしたが「おれにも喋らせろ」みたいになってしまう
https://scool.jp/event/20231015/

個人対技術じゃないんだよな。技術が変化させるのは個人でも個人の知覚でもなく、社会的諸構造で、個人という概念規定そのものがそこで再編成される。個人が技術をうまく扱えることにはたいした意味がないというか、その図式で考えた時点ですでに罠に嵌まっている。

技術的諸構造のただ中で、表現というものがどのように機能しているかが問題なんじゃないの

AIの登場で表現はどう変わるかって問いをたててしまうと、もう社会反映論的な結論の外部に出ないじゃん

うーん

90年代から2000年代初頭のJ-Popの性規範について、みたいな主題でおもしろい本とかってなにかないかな

同一便に力士が集中 JAL「やばい」…乗客を分散、急きょ臨時便運航 国体開催地 奄美便の珍事〈鹿児島国体〉
https://373news.com/_news/storyid/183574/

昔の飛行機は乗客のバランスに気を遣ったそうですが、737クラスの飛行機でも力士となると大変なのですね。それにしても国体の相撲を離島でやろうと考えたのは誰だ。

"マスクが重視しているhumanity(ヒューマニティ)には、同情、共感、慈悲といった人間性(humanity)のニュアンスは含まれていない。彼にとっては、個々の人間よりも「人類」が種として生き延びることが重要なのだ。"
https://youshofanclub.com/2023/10/12/elon-musk/

めちゃくちゃおもしろい。

今日の主要な集積回路の製造は、細かい違いこそあれ、回路パターンを露光し、薬品等で削り出す(あるいはレーザー等で直接形成する)フォトリソグラフィ多数の層を作ることでできている。

すなわち、コンピューターは写真やレコードのような複製メディアの発展系として、デジタルデータによる作品の無限の複製を可能にした一方で、コンピューター自体も複製技術によって刷られているのだ。

ソフトウェアを自分で管理できるようにしようっていうレベルではないラディカルさだ

私たちはちょっと気合を入れればコンピューターを作れるのだ、という状態へ持っていくことこそ、コンピューターなしでは生きられなくなってしまった私たちが社会の中でできる直接運動=アクティビズムなのだ。

https://garden.matsuuratomoya.com/%E8%A4%87%E8%A3%BD%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%80%81%22%E5%88%B7%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%A3%85%E7%BD%AE%22%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC—-%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%A8%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%A6%96%E7%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AEDIY%E5%8D%8A%E5%B0%8E%E4%BD%93

授業と会議が終わって18時からウォーッと書いてウォーッと流し込んだので、半分科学サーベイ半分左翼の喧伝のような謎の筆の滑り方をした文章になった。要約すると、版画はアクティビズムで、トランジスタの製造は実質版画なので自作トランジスタはアクティビズムだよという三段論法です(???)

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