日本の場合、制度的な芸術としては日本画が発達してきたけど、これが敗戦でかんぜんに挫けてしまった。ヨーロッパの場合、前衛はつねに制度的な芸術への抵抗としてあったけど、日本の場合は戦時に前衛も制度芸術に回収されるか完全に水面下に潜るかしたけど、敗戦でその制度に支えられた価値観が崩壊してしまった。しかし制度的な芸術はなりを潜めていたけど制度が崩壊したわけではぜんぜんなく、いまだに美術大学では洋画と日本画という明治以来の区別が残存している。とはいえ戦後に活力をもっていたのはあきらかに在野で、制度的な芸術不在で前衛と反芸術という組が案出されてしまう。前衛と反芸術が別概念ってなんだ?というところがある。いや、「前衛」概念を戦前のものとして考えれば前衛と反芸術は別なんだけど、中ザワの想定ではそうなっていない。隠れた芸術概念があるというよりほかない。
中ザワヒデキの美術史観、前衛→反芸術→多様化みたいな謎の組ではなく、芸術と反芸術を基本セットとして分析するほうが実りありそう。「芸術」は大学・美術館・美術史などの「公式」の美術として確立されるもので、反芸術はその制度の外部にあるもので、市場や路上での活動も含む。これはあくまで公式的なもので例外はあるけど、すくなくとも反芸術当事者たちはこの図式でやっていただろうとおもうのと、この図式であれば美術にまつわる社会的な動向はかなり整備しやすくなる。
これはコードレビューもおなじでは(コードレビューという仕組みよくないとおもっている)
https://twitter.com/K_Miyamichi/status/1583243267831115776
https://twitter.com/K_Miyamichi/status/1583243267831115776
驚いた。良い悪いはおいておいて(良いはずがないのだが)、そういう動機が実際に働いているとしたら、研究対象として興味がある。サディスティックな支配欲みたいなものが学界業務の報酬系の中に組み込まれているということだろうか。
https://twitter.com/the_kawagucci/status/1583251142171013121
進撃の巨人、グリシャがかつて巨人は世界を耕し豊かさをもたらした、みたいなことを言うシーンめちゃくちゃネトウヨっぽいんだけど(日本の植民地支配は文明をもたらした云々...)、ネトウヨ的キャラクターなのはわざとなんだろうな。
ダナ・ハラウェイが、ヤーキーズやカーペンターらが発達させた霊長類研究について、そもそも欧米での霊長類研究は「性の科学的な管理」という背景があったとしており、たぶん性だけでなく労働の「科学的管理」も含むイデオロギーが背後にあったであろうことはなんとなく伺える。内側にいる科学者からは、こういう批判的見解はでてこない。
サンドラ・ハーディングが、科学教育にも芸術批評のようなものを取り込んだほうがいいという提案を書いていて、それは現行の科学という営みの政治性を読解し批判するために必要だという話で、自分も必要だとおもうけど、現状を見るにそれが受け入れられるにはそうとう時間がかかるんだろうな。
『炭鉱と美術』知らなかったが読まねばならない気がしてくる
https://amzn.asia/d/64CxFE7
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OOPっていえば Object-Oriented Programming の略語として通用するでしょとおもってたけど、ハーマンの Object-Oriented Philosophy の略語として使ってるやついるな...。
@tsysoba ありがとうございます。雑誌は、もはや誰に聞いてもやはり将来が厳しいという印象がありますね...。
> 雑誌を中心とした、地域の中小企業・自営業の定期購読契約が失われていったことも大きいのではないかと思っています
こちらはなるほどとおもいました。
最近前田愛『近代読者の誕生』や永嶺重敏『〈読書国民〉の誕生』などを読み、書物や雑誌が織り成すネットワークがどのように発達してきたかに関心がありましたが、本がメディアというのみでなく本屋もまたメディアであり、情報のハブとして機能していた。大学図書館や研究室を相手に洋書の卸をやっていた方が知り合いにいますが、その方は知識人のネットワークのハブになっている人で、地方の本屋にもそういう機能はありそうですね。その人は図書館の購入費が減ったため厳しいと言っていました。
こういうネットワークが消滅しつつあるのは、取次が横暴よりアマゾンの台頭がおおきいとはおもいますが、書店側から見ると本を介した人間どうしのネットワークのほうが見えてくるだけに、自分のように衰退は理の当然ではないかなどといってしまうのも、ちょっと問題あるおもいました。note の記事はAmazonへの怒りをぶつけるべきではないかとはおもいますが...。
> 雑誌を中心とした、地域の中小企業・自営業の定期購読契約が失われていったことも大きいのではないかと思っています
こちらはなるほどとおもいました。
最近前田愛『近代読者の誕生』や永嶺重敏『〈読書国民〉の誕生』などを読み、書物や雑誌が織り成すネットワークがどのように発達してきたかに関心がありましたが、本がメディアというのみでなく本屋もまたメディアであり、情報のハブとして機能していた。大学図書館や研究室を相手に洋書の卸をやっていた方が知り合いにいますが、その方は知識人のネットワークのハブになっている人で、地方の本屋にもそういう機能はありそうですね。その人は図書館の購入費が減ったため厳しいと言っていました。
こういうネットワークが消滅しつつあるのは、取次が横暴よりアマゾンの台頭がおおきいとはおもいますが、書店側から見ると本を介した人間どうしのネットワークのほうが見えてくるだけに、自分のように衰退は理の当然ではないかなどといってしまうのも、ちょっと問題あるおもいました。note の記事はAmazonへの怒りをぶつけるべきではないかとはおもいますが...。
梶井基次郎の『檸檬』が書かれた大正14年(1925年)ごろのレモンの価格を知りたい。(さいたま市立中央図書館)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000311240
こんなんあるのか。
https://ncar.artmuseums.go.jp
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ロックが病気にきくようになる!?
クイーンの曲でインスリン分泌誘発 新たな糖尿病コントロール法を開発 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
https://forbesjapan.com/articles/detail/66281