結局、争いのない平和なSNSにするには「人口密度」なんだよね。どんだけ思想的に似てる人を集めても狭い部屋に閉じ込めればイライラしストレスもたまり争いになる。それと同じで接続しすぎ、交流しすぎだとギスギスするんですわ。
36協定締結巡り「派遣会社が支配介入」 都労働委に救済申し立て | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20230921/k00/00m/020/160000c
プログラマーたるものFizzBuzzくらい実装できて然るべき、みたいな意見には全く賛同できない。FizzBuzzみたいなことに縁がない人であっても、それとは完全に無関係にプログラミングができている現実は大変に喜ばしいことだよ。プログラミングは特定の人達のものではないべき。いろんな人ができるべき。裾野が広い事を喜べ。
BT メルカリ社員の給与の同一労働・非同一賃金だった件、データを出して分析、同一労働の場合は給与の是正までやったところがえらい。
しかし同一労働ではないケース(地方のコールセンター部門や、専門性の高くないポジションの男女比)もまた根深いと思いますし、そこは短期間では是正できない。
メルカリ社員、男女の賃金に37%の格差。職種・グレード同じ男女に「説明できない」差が生じた理由
https://www.businessinsider.jp/post-275612
なんのことはなくて、結局主体概念の再構築に失敗している。というより、システム/ユーザーの関係において、その二者が別な存在者であり、システムがユーザーに奉仕するという関係でのシステム構築とは、常に逆であり、ユーザーこそシステムに奉仕させられるものになる。「システム」なる不透明な概念を不可視化することで誤魔化してきたわけだ。
「それは何であるか」と「モノは何をなしうるか」のペアは、だいぶ前にDCIアーキテクチャの話でしばらく考えていたけど、あまり答えがなかった。
https://digitalsoul.hatenadiary.org/entry/20100131/1264925022
「GUIに取り組むとき、ユーザは2つのことを行っている。すなわち、考えることと実行することである。」コプリエンのなかで、「考えること」に対応しているのが、オブジェクト指向が「構造」を支えてきたという話で、「実行すること」については「インタラクションが見いだされるべき明確な「場所」はGUI上にもコード内にも存在しない」とあるとおり、対応するものがない(これはコプリエン説)。コプリエンは、この思考と実行の人間側の行為に対応するものを、ほかのところで、システム要求として "what system is" と "what system does" と言い直す。"what system does" を記述する手段がないからDCIやろうっていう話をしているんだけど、まあこれはあんまり筋のいい話ではない。
それよりも、「共生」という概念によって、 "what system is" と "what system does" の区分がけっこうどうでもよくなりそうである。単一のオブジェクトを組み合わせたオブジェクトがあるとして、それはなにかといえば結局オブジェクトだ。けどそれは分解可能なものとしてあるわけでもない。
https://amzn.asia/d/h32AZ4R
Multi-Ramen #らりおactivity
https://artnewsjapan.com/article/1615
うちらの国の首相は、国連総会で何を喋ったのか?
報道の切り取りではよく分からない。全文にざっと目を通してみる。
https://gadebate.un.org/en/78/japan
岸田「私たちは、弱い立場の人々が安全で安心して暮らせる『人間の尊厳を大切にする世界』を目指すべき」
ふむふむ。良さそうな話をしてますな。
岸田「国際社会がいくつもの危機に直面し、分断が進んでいる今、私たちは皆の心に響く共通言語を必要としている。『人間の尊厳』に新たな光を当てることで、国際社会は体制や価値観の違いを乗り越え、『人間中心の国際協力』を着実に進めることができると信じている」
うーん?? 国際社会の共通言語といえば、平和と人権だ。それではもう響かない、と言いたいのか?
演説では"human dignity"(人間の尊厳)という言葉を13回も使っている。
気になるのは、人間の尊厳とは、要するに人権のことではないの? という疑問だ。世界人権宣言の前文は「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」と始まる。
一方でhuman rights(人権)は演説中で2カ所しか出てこない。
(続く
「女性と抽象」展|2023.9.20〜12.3|東京国立近代美術館(2Fギャラリー4) https://www.momat.go.jp/exhibitions/r5-2-g4
今日から東近美の常設企画展枠で始まったこの展覧会、出展作家は桜井浜江、三岸節子、藤川栄子、田中田鶴子、芥川(間所)紗織、桂ゆき(ユキ子)、草間彌生、田中敦子、青木野枝、福島秀子、辰野登恵子、春木麻衣子、吉川静子、杉浦邦恵、木下佳通代、沢居曜子。
グッゲンハイム美術館でのヒルマ・アフ・クリント展以来(?)、20世紀絵画史における女性画家の存在を改めて取り上げる動きが──美術(史)におけるジェンダーの偏向を問い直す一環として──続いていますが、そういった動きが遅ればせながら東京でも出てきたということでしょうか。田中敦子以外、具体美術協会の女性会員(山崎つる子、白髪富士子、菅野聖子etc)がいないところが、実に東京らしいのですが 